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「政治主導」復活のために-今こそ必要な政治の力② [統治論]

前回は大震災という国難に際しては、国民の負託を受けて国家運営に当たっている人たちの「政治的な」判断と意志決定が極めて重要であることを書いた。

このことについて少し掘り下げて考えてみる。

人間は自分たちが何らかの意図をもって動くことによって他人に働きかけ、自分の価値を他人に渡したり、他人の価値を自分が受け取ったりして、精神的にも物質的にも、お互いに創りあって生きている。人間が社会的動物と言われる所以である。

そのような社会的動物として、お互いがお互いを支えあって生きるのに社会のルールが必要となる。ルールは時に自然発生的に、時に複数の人間同士がお互いの意図をお互いに意識的に調整することによって、時に外側の社会から押しつけられること(植民地化etc.)によって、時に一個人の欲望や気まぐれ(暴君・独裁者etc.)によってetc.という具合に多様な形をとって生み出される。どのような形であれ、ひとたび社会のルールが生み出されると、その社会の構成員はそのルールに従って社会生活を送らなければならない。

人間以外にも集団生活を営む生物はいる。サルを研究しているサル学の大家はサルの集団にもボスがいて、サル社会のルールがあると言うかもしれない。ハチを研究している昆虫学の権威はハチの巧妙な役割分担を指摘するかもしれない。しかし人間の集団生活とその他の動物や昆虫の集団生活を比較した場合、機能から見た共通点を指摘することは出来ても、本質においては次元の異なる法則性があると見るべきだ。

人間社会のルールは学問的には「規範」と呼ばれ、「観念的に対象化された意志」(三浦つとむ「認識と言語の理論」)がその本質である。集団生活の中で自分や他人の意志を調整し、観念的に対象化して、あたかも外側からの意志のように受け取って、その意志に自分や他人の意志を従わせるという人間特有の観念世界が生み出される。サルもハチもこのような観念世界はもっていないはずである。

私たちは「日本国」という観念世界に住んでいる。「日本国」には私たち住民(=日本国民)が社会生活を営む上で、従うべきたくさんのルール(=法律)が存在していて、このルール(=法律)に則って「日本国」は統治されている。法治国家たる所以である。

法治国家日本の住民は、法律が定める方法で、自分たちの観念世界(=国家)を治める専門の人(=政治家)を選び出す。合法的に選び出された政治家は、住民から最大の支持を集めた政党に属する実力者を中心として内閣を組織したあと、国民を代表して観念世界(=国家)の統轄にあたる。政治家は住民間の多種多様な利害の調整を行ったり、全住民にとって共通の敵として立ち現れる外国からの侵攻、疫病、災害等の事態に対して、国民の生命と財産を守るべく対応する。

さて、ここからが重要である。
内閣は平時には法に則って粛々と国家運営にあたればよい。しかし今回のような大震災という国難に遭遇した場合、平時のスタイルの国家運営では対応しきれないことがたくさん出てくる。大地震と大津波は不測の事態を連鎖して生み出した。どれもこれも一刻を争う事態である。下手な手を打てば国家の存亡にかかわる。衆議院、参議院と通常のプロセスを踏んで法案を通していたのでは間に合わない。何が日本国にとっての最大利益かを国家運営にあたる政治家が考えて、すばやく決断を下すのだ。国家運営者の権能で政令を繰り出すのだ。またトップダウンの意志決定が迅速になされ、それが現場の災害対応にスムーズに流れてゆくよう災害対策の本部組織を可及的速やかに立ち上げるのだ。また地方自治体、自衛隊、消防署、警察、ボランティア組織から後方の病院やライフラインにかかわる民間会社にいたるまで、組織横断的な組織として急速編制し、それぞれを連携させて一元的に命令を送れる体制を構築しなければならない。

ここで踏ん張って自らを国家統治者として鍛えなおすことができれば、支持率低下にあえぐ菅・民主党政権も「政治主導」復活で、支持率をV時回復させることが出来るかもしれないぞ。


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