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オペレーション・コロナ-ばいきんまん会議② [防疫論]

3月25日夜、小池東京都知事が今週末の外出自粛要請を出した。

東京都の1日の感染者数が41人と急増、またそのうち感染経路が特定できない感染者が13人にのぼり、懸念される感染爆発(オーパーシュート)の入口にある「重大局面」であるとし、時に「ロックダウン」(都市封鎖)といった強い言葉を使って、住民への注意勧告を行った。

わが国は、感染拡大が激しい外国(とりわけ欧州各国や米国)と比べて、相対的に感染ペースが落ち着いている(実際は決してそうではないのだろうが)ように感じられたこと、自粛行動でストレスがたまり、心と体を開放したいという集団の無意識が高まっていたことなどがあるのだろう、街に出る人たちが増えている気がしていた。街の人たちの表情も少し緩んできた気がしていた。今年は桜の開花も早く、春分の日などは慎ましやかに花見を楽しむ人たちもそこそこいた。自治体によっては「ぼちぼち学校を始めようか」という判断も出てきて、これはこれで妥当な判断だなと思ったりしていた。

そんな矢先の都知事の緊急会見である。

会見には専門家も同席し、感染拡大が懸念される現在の状況、また住民が日常行動で注意を払うべきポイントを指し示し、感染への警戒の意識レベルを1段階引き上げて臨むべし、、、という住民への強い「お願い」であった。

メガロポリス東京は国際空港もあり、公共交通網も発達し、人の往来が圧倒的に多い。
コロナウイルス感染拡大の第2ステージの震源地となる懸念が生じてきたことからの緊急会見だったのだろう。

もちろん感染には国境も関係なければ県境も関係ない。小池都知事はコロナ感染拡大を防ぐための連携強化を国に申し入れた。また同時に周辺自治体首長ともテレビ会議を行って、往来の多い自治体間の方針の調整を行った。

わが国では、ダイヤモンドプリンセス号乗客の集団感染から始まったコロナ禍との戦いは、第2ステージに入ったということだろう。これはすなわち、感染者をクラスター単位で追跡・管理し、感染拡大を制御する段階から、追跡・管理の埒外の感染者を抱え込んで、一定の感染者を出しながらも、最後の防衛ラインである医療現場は守るという難しいオペレーションが求められる段階だ。

われわれは老若男女を問わず、健康状態を問わず、だれでもいつでも感染する可能性があり、したがってまただれかをいつでも感染させる可能性がある。

このことを前提として考えると、私たちは国家や自治体によって指し示される行動指針を大きく組み込んだ形で行動をせざるをえないステージに入ったのだ。あなたのその行動はコロナ感染防止の観点から見て是か非か?企業が営業を続けることはコロナ感染防止の観点から見て是か非か?
いまや個々人の楽しみも、企業が生き残りを賭けて営業活動をすることも、コロナ対策より小さな問題なのだ。

感染者数の日々の増減に、心配になったり、安堵したりしながら、オペレーション・コロナは続きそうである。












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新型コロナウイルス感染対策の考え方-ばいきんまん会議① [防疫論]

中国・武漢に始まった新型コロナウイルスのヒト感染に関して、日本ではクルーズ客船ダイヤモンドプリンセス号での集団感染とその対応状況が連日報道されていたが、クルーズ船外においても、にわかに感染者数が拡大、2月28日には政府から小・中学・高校等の休校要請がなされる事態となった。

私自身は、テレビ報道に接しても、どこか他人事で呑気に構えていたが、この休校要請会見で、今回のコロナ禍が自分たちの身近に差し迫った日常の問題であることを実感することとなった。
(実際、週明け3月2日以降、取引先スポーツクラブや温浴施設も軒並み臨時休業や規模を縮小しての営業態勢を決めて、あらためて自分たちの経済生活を直撃する事態だということを理解した。)

その後も感染拡大は続き、イタリア、イラン、アメリカetc.と連日世界中から感染拡大のニュースが流れた。3月11日には、WHO(世界保健機関)は世界規模での感染拡大状況に対し、「パンデミック」を宣言した。

わが国では、平時のウイルス検査体制のキャパシティを超える検査要望が押し寄せ、感染が疑われる症状の患者にスムーズに検査を受けさせることもままならないことが報じられている。

この状況を憂えたソフトバンクグループ総帥の孫正義氏は、人道的な立場から簡易PCR検査キット100万人分の無償提供をぶちあげたが、医療崩壊につながると評判が悪く、アイデアを引っ込めざるをえなくなった。

状況についてはいろいろな解説がある。

テレビでは感染症の専門家が登場し、新型コロナウイルスの感染拡大状況をどう見るか?わが日本国の対応策をどうみるか?また日本国住民がどのようなことに意識を向けて暮らしたらよいのか?いろいろな話が出ている。

感染症検査の所管機関のボスたちが症例エビデンスを独占したいがため、意図的に検査体制の拡充を進めないという解説がある。

また感染者数を小さく表現することは、今夏に控える東京オリンピックの開催に、万が一、もしかして、、、があってはならないという国家(より直接的には「オリンピック利権村」)の総意があるのだとか、、、それがために検査体制の隘路が解消しないのだとか、、、本当かな(*_*)という解説もある。

テレビやネットの報道から知れる範囲では、これら所説の真偽のほどはよくわからないな。

しかしながら最近の報道の趨勢を追っていて、私なりに理解できてきた部分もある。

コロナウイルス感染は高齢者と基礎疾患を持った人たちが重症化するケースが多い。一方で健康な若年層、中年層は重症化するケースは少ない。また感染していても軽微な風邪症状が出る程度だったり、あるいは人によってはまったく自覚症状のないまま感染して、治癒しているケースもありそうだ。

感染者の致死率も1%とか2~3%だとか言われたが、現状の検査体制や検査自体の精度の問題もあって、感染者数が正確に把握できていない。発症した人たちとたまたま濃厚接触でたまたま検査ができて発見できた無症状の人たちを拾って母数とした致死率となっていて、実態よりも高い数字になっている気がする。
ヒトが直面する初めてのウイルスということで、罹患率は高いけれども、季節性のインフルエンザウイルス同等、あるいはそれよりも小さい致死率、、、これが実際のところではないかと思っている。

そうであるならば、現状の検査・治療体制のキャパシティを踏まえ、感染して重篤化する確率が高い高齢者と基礎疾患を有する人たちを優先して治療する方針で行くべきである。本当に必要な人のために医療資源を集中すべきである。












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