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防疫安保論(後編)-ばいきんまん会議⑥ [統治論]

改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に則り、東京都、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県、福岡県、北海道、広島県、岡山県の9都道府県に発出されていた緊急事態宣言は、当初の定めの5月31日の期限から、感染者数や病床稼働率の推移を踏まえ、6月20日までに延長された。またGW期間の人流増加の影響をもろに受けて感染が拡大した沖縄県に対し、5月23日から緊急事態宣言が発出された。(期限は6月20日)

以上の10都道府県について、6月14日時点では、宣言解除や「まん延防止等重点措置」への移行が検討されているようだ。その後のオリンピック・パラリンピック開催強行→総選挙の流れも意識しているのかもしれない。

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今夏の東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ感染の蔓延状況がどのレベルであれば開催されるのか?あるいは開催されないのか?この国民の関心事にだれも答えてくれない。

6月9日の党首討論においても、菅首相は「安全安心な大会の開催」へ向けて、具体的な開催の判断要件に踏み込むことはなかった。そして野党が求める会期延長もなく、国会は閉会。首相はイギリスでのG7サミットへ旅立ってしまった。

日本国民はなめられまくっている。ひどい話なのだ。

オリンピック・パラリンピックの開催契約をIOC(国際オリンピック委員会)、IPC(国際パラリンピック委員会)と結んでいるのは、主催都市である「東京都」ではある。しかし、その「東京都」は「日本国」の領土に他ならない。つまり「日本国」の法律の支配が及ぶ範囲である。

オリパラを開催するということは、ホスト国としては、自国民に対し、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、改正特措法)やその他関連法規により、感染蔓延状況に応じて厳しい行動制限を課すかたわら、開催期間中に世界各国から入国する選手や関係者に対しては、オリパラ独自のプレーブックで行動規制するという、二重の規範で、ダブルスタンダードの運用をするということだ。

オリパラ競技は大丈夫だけど、運動会は開けないとか、オリパラ選手村での勝利を祝しての一杯はよいが、仕事帰りに居酒屋でおつかれさまの一杯はダメだとか、自国民に対して、納得のいかないことを強いることになる。コロナ禍厳しい折、オリパラ開催を強行するのなら、それは一体なぜなのか?どんな意義があるのか?国家運営の責任者は、自国民に対してきっちりと説明しなければならない。

オリパラ開催に関しては、複数の船頭がいて、船がどこに向かっているのかがわかりにくい状況である。船頭たちは相互に牽制球を投げあったりしている。賠償責任はだれにあるとか、ちんけな話も出回っている。しかしオリパラ船を最終的に統轄しているのは「日本国」首相なのだ。ここが適切な指示を出さなかったり、ブレブレだったりしたら、コロナ禍の荒波で船は難破してしまう。

治外法権と見まごうオリパラバブルを主権国家である日本が適切に制御する、、、ここを私たちは見ている。国家のガバナンスを見ている。自国民をなめてはいけないのだ。

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オペレーション・コロナ(コロナ掃討作戦)の要諦は「医療提供体制の崩壊を防ぐ」ことにある。そのためのコロナ対応病床の増強や(労働集約的な面が強い)‘医療’サービスの提供者(医師、看護士、保健士etc.)の増員、‘医療’提供オペレーションの改善・効率化等は最重要のポイントだと思う。そしてこれを実行するには行政サイドの《政治力》が何よりも大事だ。

しかるに現実はどうなのか?
「じゅうぶんに時間はあったのに…どうして?…今ごろ?…」
そんな残念な感想しか浮かばない。

吉村大阪府知事は従来の新型インフルエンザ特措法を「ポンコツ」と称していた。知事の責任と権限の所在が不明確なこと、休業要請の際の補償の規定がないことなどを問題視していた。「知事が思うように権限を振るえないのは特措法のせいだ。」というわけだ。

しかし、今となっては行政の不手際や不作為を正当化する言い訳に聞こえてくる。

泉(兵庫県)明石市長が吠えた。

「医療崩壊、ベッドが足りない、医師が足りないなんて、全部嘘です。府知事には病院を潰せるくらい強力な権限があって、ベッド数を増やすくらい簡単なこと。なんでやらないんですかね、吉村知事は。私にその権限があったらすぐやってます。私が知事なら病床も逼迫なんかさせません。」

「日本の人口1000人あたりの病床数は世界一で、感染者数は欧米の1割。それでなぜ、問題が生じるのか。海外では公立病院が多いんですが、日本の医療は民間主導であるのに加えて、医師会が票を握っているから、政治家がものをよう言わんのですよ。」

「知事には医師会に指示できる権限が本当はあるんだから、『民間病院も病床を提供してください、看護師さんを◯名ずつ派遣してください』って言えばいいだけ。そうすれば、今の状況なんて一気に解決します。」

⇒まさに「御意(ぎょい)!!」

「ポイントは、医師会とのパワーバランスと信頼関係です。まず、医師会は選挙を左右するほど大きな利権団体。一方、無所属で市長になった私は医師会にすれば敵だったわけで、私は医師会にはまったく気を遣わなくていい立場なんです。

でも明石市では、18歳以下の医療費と認知症患者の診断費用を無料化したため、今では医師からとても感謝されています。そんな信頼関係があるから、私が本気を見せると、怖い顔をしたり脅したりする必要もなく、病院もすぐに協力してくれました。簡単なことなんです。」

⇒これまた、御意(ぎょい)!!!

政治力とは殊更に「怖い顔をしたり脅したり」することで発揮するものではない。逆に票田におもねるものでもない。一行政区の責任者として信念をもって市民のための医療制度改革をやって、患者と医者のWin-Winのモデルを上手に作った。このことが結果として、今この有事に活きてきているということだ。示唆に富む主張である。

出典:Yahoo!ニュース5月24日配信、週刊FLASH 6月1日号


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「日本の現行憲法下において、国民の‘私権’を制限することには限界がある。」と政治家やTVの識者は言っている。

本当だろうか?

政治家は頼んでもいないのに、自ら進んで自らをマインドコントロールしている。
日本では政治家は自国民には「お願い」しかできないのだと。

メディアはその主張を真に受けているのか?追従するコメントを垂れ流す。

また一方では、この機会に憲法を見直し、有事に対応できる「緊急事態条項」を設けるべし!という政治家もいる。一部メディアがこの主張を支持している。政界からテレビ業界に出戻った大阪維新の会ファウンダーの橋下弁護士も、私権制限が可能となる法律改正をさかんに言い立てている。

しかぁぁ~し!
ちょっと待ったヽ(`Д´#)ノ

昨夏、れいわ新選組の山本太郎代表は東京都知事選挙に出馬し、小池都知事に挑み、惜敗した。

このとき山本代表は、新型コロナ感染症の蔓延がもたらす事態を「災害」に指定することで、諸外国並みのロックダウンが可能になること、避難所や仮設住宅の提供、食料や飲料水の提供が可能になること、「災害救護資金」や「災害弔慰金」といった名目で、自国民に対する緊急・直接の財政支援までも可能になることを主張した。「災害対策基本法」「災害救助法」などの従来からの法律を、根拠法として活用できるのだと言う。

参照:山本太郎街宣動画

政治家はコロナ禍にあって、施策の実効性を高めるために、自国民に対し、強制力のある指示をどうしたら出せるのか?の知恵を絞るべきである。国家運営にあたる人間は、「何か根拠法はないか?」と配下の官僚に調べさせることも必要だ。

ところがまともに調べさせた形跡がないというのだから、不誠実極まりない。「だれも追究しないだろう」と国会を軽視している。つまりは、自国民をなめているということだ。

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政治家の本務は法律を作ること。

しかしながら政治家は自らをマインドコントロールしてしまい、何のために国会(=立法府)に送り出されたか?の根本を忘れてしまったようだ。(あるいはその裏返しで、一足飛びの憲法改正論議にすり替える論理的詐術を弄している。)

唄を忘れたカナリヤは 後ろの山に捨てましょか
背戸の小藪に埋けましょか
柳の鞭でぶちましょか ♬

今の政治家の物忘れ症状は「唄を忘れたカナリヤ」どころの騒ぎではないが、「忘れた唄」を何とか思い出してほしいと切に願っている。

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その一方で、思わぬところからの問題提起もあった。
日時が前後するが、そのことにも触れておこう。

3月12日、さしたる国会審議もないままに、与野党共同提出の「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」が成立した。従来法の不備を補い、新型コロナウイルス感染症にかかわる対策を推進するための改正法らしい。具体的には、自治体首長が、緊急事態宣言等が発出された際に、営業時間短縮や休業の要請に応じない事業者に命令を出すこと、過料を科すこと、あるいは入院に応じない感染者や病院から逃げ出した感染者に過料を科すこと等々、各種の措置を規定する内容になっている。

東京都はさっそく、改正特措法に基づき、緊急事態宣言下の飲食店に対して営業時間短縮命令を出した。

これに噛みついたのが飲食事業会社、グローバルダイニングである。同社は東京を中心に「権八」「ラ・ボエーム」「モンスーンカフェ」などの深夜も営業するレストランを展開している。

東京都から同社への命令書には「緊急事態措置に応じない旨を(SNS等で)社会に発信した。同業飲食店の20時以降営業を誘発するおそれがある。」主旨の指摘があったという。(時短せず)営業する理由を堂々と表明した同社が狙い撃ちされた形である。

今回の時短命令は運用が恣意的で、「営業の自由」はもとより、「法の下の平等」や「表現の自由」を定めた憲法に違反するものではないのか?民主主義社会・日本において看過できない。同社の長谷川社長はそう思い至って、たまたま縁のあった弁護士グループの助けを借りて、東京都を提訴する運びとなった。

弁護団によると、今回の取り組みは「時短命令」の違憲性・違法性を司法の場で問うことを媒介として、コロナ禍での「空気」の支配や、薄弱な法的根拠によって政治決定がなされていく社会そのものへの問題提起という意味合いもあるらしい。行政サイドの「空気」の支配によって、しわ寄せを受けている人たちの声なき声を集約できるプラットフォームを志向するそうだ。訴額は1店舗1円×要請26店舗×4営業日=104円、裁判費用はクラウドファンディングによって調達するという。

参照:グローバルダイニング会見

政治家は「空気」を恐れ、腰の引けた答弁ばかり。
テレビでそれを見た私も、その「空気」を吸い込んで、心肺はにごり・淀んだ感じになる。

納得がいかないことは、納得がいかないと堂々と主張する長谷川社長の会見に接し、カタルシスというのだろうか?私は自分の心肺の「空気」が浄化されていく気持ちである。

国会の形骸化・有名無実化は極まり、政治家には何の期待も持てない中で、このような取り組みが生まれている。訴訟の行方は今後も注目していきたい。

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G7サミットに先立ち、6月10日、アメリカのバイデン大統領とイギリスのジョンソン首相は、新大西洋憲章(New Atlantic Charter)を発表した。民主主義の価値観と領土保全のコミットメントであった1941年の大西洋憲章をアップデートしたのだという。サイバー攻撃も想定した集団安全保障に対する相互の責務、すべての国際行動において気候変動を考慮することなど、今日的課題も条文に盛り込まれた。

パックスブリタニカ、パックスアメリカーナと、民主主義国家群を牽引してきた両国が、ポストコロナの世界に向けて民主主義国家の価値観と連帯を再確認するアドバルーンである。

アメリカもイギリスも、新型コロナ・パンデミックにより激しく自国民が亡くなった。それでもワクチンを猛スピードで開発・承認し、さっさと接種プランを作り、国民の多数が接種を終えて、さあ、普通の生活を取り戻すぞ!というステージになっている。

アメリカにいたっては、ワクチン5億回分を、発展途上国等100カ国に提供するとぶち上げている。
しかも「ひも付きでない、何らかの見返りや譲歩を求めるものではない。」(バイデン大統領)

ポストコロナ世界を展望する、未来志向の話なのである。

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「言いたいことを言う」
「食べたいものを食べる」
「住みたい場所に住む」
「会いたい人に会う」etc.

「自分の意志で、自由に自分の行動を決められる」民主主義の価値観は実にすばらしいものである。

しかし一方で、民主主義を制度として担保する「議会制民主主義」は‘こわれもの’(fragile)だ。

民主選挙で当選した議員が、国民の負託により国会に送り出されているという自覚をなくし、選挙公約を反故にしたり、特定のお友だちの利益のためだけに動いたり、選挙を経ずに分党して、政党助成金を掠め取ったりetc. 

最近は与野党が握って、ロクな審議もせず法律を通す。その法律が時の内閣や自治体首長によって恣意的に運用される。結果として一部の国民がとばっちり被害を受ける。コロナ禍で「空気」による統治がより露骨になってきた印象である。

国民は権利行使の主体者としての自覚をもって、国会に送り出した議員を監視し、法律を作ろうとしない議員、(命令の根拠となる)法律を調べようともしない議員、法律の拙い運用を放置する議員etc.だめな議員はだめだと、選挙で落選させなければならない。

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残念なことだが、コロナ・パンデミックは民主主義国家・日本の実力の程度(低度)を私たちに教えてくれることになった。本会議でもかつて評価した政治家が「おやっ」と思うような行動をとったりする。

コロナとの戦いは何よりも医療提供体制の崩壊を防ぐこと、そのためのヒト・モノ・カネを医療の最前線に投入し、感染爆発期のディフェンスラインを分厚くすることが大事なのに、それを怠っている。一方で、外出自粛や休業要請などいたずらに自国民に我慢を強いる。民度の高い国民も、最初のうちは要請に従っていたが、これに従うことがばかばかしいと思うようになる。

私は陰謀論者ではないが、「新型コロナウイルスは敵性国家が繰り出した生物兵器だ」という可能性も排除せずにオペレーション・コロナを検討すべきではないかと思っている。なぜか?

‘医療’は人間の再生産に直接かかわる。そして戦争を担うのは人間である。

つまり(広義の)戦場(=日常の経済生活)で戦線離脱する人間が出ること(=コロナ感染で隔離・療養状態になって生産活動から離脱すること)で、前線から後方支援部隊にいたるまで、兵站線(Logistics)が傷んで、戦争遂行能力が低下していく。戦時物資の供給体制が棄損する。「マスク」ひとつ、「ワクチン」ひとつで大騒ぎしているくらいだ。兵力(=人間)を含めて、ありとあらゆる物資を戦争遂行目的で投入する国家体制の編制が必須となる【戦争】を果たして日本はできるのだろうか?


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