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ポンジ・スキームは好きですか?-新春‘暴論’2022 [私の提言]

2022年の最初の投稿は、前回、前々回に続く、議論になります。

バラマキ政策を超える 
過去最大の補正予算って本当なのか? 

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前代未聞の20兆~30兆円レベルの国家予算使い残しのニュースから、これはどういうことなのだろうか?という疑問が生まれた。そのうちに日本国ってヤバくないか?という思いが強くなってきた。

一体何がヤバいのか?

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衆議院選挙で日本国住民の信任を得て、晴れて組閣された岸田改造内閣の元、追加の経済対策として補正予算の国会審議が行われた。コロナ禍になって4回目の補正予算、これの審議である。

いちおう形の上では国会論戦が行われてはいた。野党は18歳以下10万円の給付金の支給方式に関する政府方針のブレや、追加の防衛費増額案などを論難していたようだ。

しかし私から見たら、その前にやることがあるだろうと思うのだ。

前年度補正予算の巨額の使い残しについて、なぜそれが生じたのか?予算組み自体は適正であったのか?どこかに問題はなかったのか否か?すなわち【予算の執行】について振り返りを行い、きちんと検証することこそが肝心だと思うのだ。

予見不能なコロナ禍に対して、大事をとって多めの予算を確保していたということであれば、未執行分については、いったんの国庫への返納を議論すべきところだろう。ところが16カ月の予算運用だとか、国家予算の単年度主義の弊害とかあらぬ方向へ主張がいってしまい、野党がこれを諫めるふうもない。

国会では、野党は迫力を出して【予算の〈未〉執行】を追求すべきところだが、そういう様子はない。シャンシャン総会よろしく、事なかれの国会と化している。(これが民間の企業であったらどうだろう?予算化された事業を遂行し、結果を検証し、次なるアクションにつなげる…PDCAを回す中で事業の成果を生み出してゆく。予算と実績の差異を分析し、最適な経営資源の配分を追求する。経営者として当たり前のことだ。この責務を果たさない経営者は、会社の財産を棄損しているわけなので、株主総会で解任されてもおかしくない。株主代表訴訟に発展することもありうるだろう。)

いやはや「国会は国権の最高機関」とは本当なのか?
日本国憲法が泣いているのだ。

国会の空洞化・有名無実化は行くところまでいってしまった。
結局のところ、いかにバラまいたか?で影響力を強めたい政治家と、どさくさまぎれに自らのなわばり(≒省益)を拡げたい官僚、相互の意識・無意識の共謀によって、日本国住民の財産を貪っている、、、これが現実である。

一方でメディアはどうか?
「新聞は社会の木鐸たれ」など野暮は言わない。ただ、20兆~30兆円レベルの巨額の使い残し予算が新政権の元、どのように処理されているのか?せめて事実が追えるような記事は遺してほしいと思う。

ところが「アベノマスクの保管料が6億円」だとか「国会議員の文書通信費が1日で100万円」だとか「国民への給付金、クーポン支給分の事務費用が967億円」だとか、どちらかと言えば些末なことにこだわった報道に偏り、日本国住民をミスリードしている。

私たちも(使い残し予算の)金額が巨額すぎることもあるし、財源が主として国債発行(≒‘国家’という観念体の信用を担保にした「有価証券」発行)によっていることもあり、想像の埒外のお話となり、自分事として痛みも覚えないし、怒りも沸いてこない。結果としてゆるゆるな国家運営が放置されている。

これが私が思う「ヤバい」の中味である。

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ただ、いくら現状の問題を指摘し、非難してみたところで気分は晴れない。言ってる自分だって日本国住民として、現状を消極的に是認している立場にあるのだ。

そこで今回はひとつ、私なりのポンジ・スキームを提案してみよう。2022年、新春暴論だ。

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前年度補正予算の未執行分は、現状の国家運営体制の元では有効に活用できない恐れがある。
だからこれをいったん、私たち日本国住民の〈無尽講〉予算として独立化させる。‘無尽講’とは、住民同士の相互扶助を旨として金銭を融通する組織スキームのことである。わが国ではおそらく信仰上の‘講’を起源とし、その後‘講’の構成員が掛け金を出し合って、構成員が経済困窮したときにお金を融通しあう‘無尽講’へと派生していった。歴史のある庶民の知恵である。

今回は‘へたれ議会民主制’自体を不信任としてリセットし、日本国住民を主体とした令和版〈無尽講〉の国家プロジェクトを立ち上げるのだ。

この無尽講の巨額な予算は、無尽講自体が主体となって暗号資産(cryptocurrency)を発行し、暗号資産の形で保有するものとする。それと同時に無尽講は暗号資産の取引所の運営も行う。この暗号資産は現行法定通貨である日本円との兌換を保証する。発行総量は独自のアルゴリズムに基づきマイニング管理を行い、資産価値を保つ。(この点、日本国政府と日本銀行がつるんで、いつでも青天井で発行できる‘日本円’とは好対照な性格を持つことになる。)

無尽講の運営は、直接住民から構成される任期1年のスタッフが担う。スタッフは陪審員制度にならって、選挙人名簿等から無作為抽出で選任すればよい。あるいは被選挙権同等に誰もが規定の年齢に達すれば立候補できるようにし、立候補者の中から抽せんとしてもよい。もちろん天下り利権などにはしない。1年の時限公務員の直接選出である。

講の構成員となる資格は原則として日本国住民のみ有し、したがってこの暗号資産を保有できるのは、原則として日本国住民となる。日本国住民は講への参加の証としての暗号資産をすべて売却した場合、講の構成員ではなくなり、講のセーフティーネットの恩恵は受けられなくなる。(講への参加は任意であり、国民の義務ではない。)

暗号資産はまず今回の使い残し予算を原資として、日本国住民に均等に割り当てる。仮に1億2000万人の住民がいて、無尽講の予算が24兆円だったとすれば、一人当たり20万円分である。ここから発行にかかわる開発費用等を差し引いた分が住民への実質の割り当てとなる。

日本国住民は自らが経済困窮したときはいつでも、無尽講の事務局に必要な金額分の給付申請を出すことができる。無尽講スタッフは「なぜそのお金が必要なのか?」の申請事由を審査し、承認案件には即時給付を実行する。「コロナ禍で解雇されて、再就職には時間もかかりそうだ」という労働者も、「来月には会社の資金が底をついて、給与も家賃も払えない見通しだ」という経営者も、等しく給付申請ができる。

自分が保有する暗号資産の実勢価格以上の資金を必要とする場合には、プールされている他人分の資金から融通されることになる。(ちなみに実際の給付は暗号資産でなく、日本円で行う。暗号資産は暗号資産として講で管理されたまま、取り付け騒ぎでもない限り、保全される。)また無尽講に対する債務が膨らんだ場合は、債務免除申請を出すことができる。無尽講スタッフは、債務を免除するに足る事由を認めた場合に免除の決定を下す。

もちろん暗号資産の肝であるブロックチェーン技術は実装し、トレーサビリティを持たせることによって、通貨としての信頼性を担保する。

「申請事由」「給付裁定」「債務免除事由」etc.は、すべて当人が保有する最初の暗号資産の中にデジタルデータとして格納される。暗号資産保有者の債務はいくら返済されたのか、免除されたのか?それはなぜなのか?これらのクレジットヒストリーはすべてデータとして閲覧可能となり、給付の裁定やその後の運用が社会良識に照らして妥当なものである限り、通貨としての信用の失墜も起こりにくくなる。

あとはどのようなキャッシュポイントを創っていくか?がこの暗号資産の資産価値を高める上でも重要である。

普通に民間の金融業者と同様に、貸し出しに対して利息を付すという方法がある。利息収入は講の運営費用の足しにもなるし、講の構成員への配当にも充てられる。王道のやり方である。

厳格なマイニング管理によって暗号資産の希少価値を保つことも重要だ。

また、これは私の持論だが、資金決済業務は通貨の健全な流通にも関わる重要な社会インフラ事業であると考える。そうであれば、決済業務を国営企業が担うという選択があってもよい。決済手数料を新しい国家の収入源に育てるのだ。その観点から、この暗号資産の取引所を国営でやる意義もある。取引所へは民間事業者のアクセスも認め、システム利用料を徴収するのもアリだ。

無尽講自体は国民の相互扶助、社会保障を本来の制度主旨としているが、これを暗号資産で運用することにより、国富の増大にもつなげていくのだ。(ひところ「税と社会保障の一体改革」というスローガンを政治家に言わせるのがはやっていたが、令和版〈無尽講〉で「税も社会保険料も不要な世の中に」というは素敵じゃないか?) 

現実にはマイニングをどう管理するかとか、ハッキングをどう防ぐのかとか、不正受給をどう検知するのかとか、様々な技術上、制度設計上の問題がある。理想は、偽造もハッキングもロンダリングも人工知能のアルゴリズムで究極まで排除し、安全・公正かつオープンに管理できるようなシステムを創ることだ。そのためにはわが国の最高レベルの叡智を結集して開発しなければならないだろう。

しかしひとたびシステムが稼働したときのインパクトは大きい。そもそも現在の国家機構から相対的に独立する国家レベルの〈無尽講〉を国民主体の組織として編制しうるのか、、、その出発点からして超難題であるが、やってみる価値は大いにあると思うのだ。日本国住民は、何も勝手にデジタル人民元の後塵を拝して、自己肯定感を低くしている必要はないのだ。

※2月3日補遺:
本稿を書いた後、考えをめぐらすうちに、ここで構想した‘暗号資産’は、どちらかというと〈非代替性トークン〉としての性格を持つものだと思うようになった。では、‘非代替性トークン’とは何か?
私の理解では、固有の財やサービス、行為、意志関係(≒契約や法律)etc.に関して、それが固有であることを証明するデジタルデータの一様式と捉えている。
無尽講の暗号資産は、日本人しか保有できず、代替性のあるビットコインやイーサリアムのように世界の取引所で自由に売買されるものではない。極端に流動性が低い。イメージとしては大相撲の‘年寄名跡’に近い。いくら実績があり、資金力があっても、外国人では購入できない。ただ、これを保有することで配当金が得られるし、売却して現金を手にすることもできる。相続や贈与の対象にもなる。一人一人の日本人に固有の信用履歴をもった財産として、実質の価値があるのだ。
そこでマネタイズの方法としては、暗号資産を小口証券化して、世界中のだれもが売買できるファンドにして売り出す。そこの取引所の各種手数料が、無尽講の収入になる。
またマイニングに関しては、無尽講直営または(日本人個人または日本企業クローズドの)免許制で厳格な供給管理を行う。外国人投資家は直接マイニングに関わって、報酬の暗号資産を受け取ることはできないが、マイニング事業者への出資を通じて、配当が得られる仕組みを創ってもよい。




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