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ポンジ・スキームは好きですか?-新春‘暴論’2022 [私の提言]

2022年の最初の投稿は、前回、前々回に続く、議論になります。

バラマキ政策を超える 
過去最大の補正予算って本当なのか? 

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前代未聞の20兆~30兆円レベルの国家予算使い残しのニュースから、これはどういうことなのだろうか?という疑問が生まれた。そのうちに日本国ってヤバくないか?という思いが強くなってきた。

一体何がヤバいのか?

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衆議院選挙で日本国住民の信任を得て、晴れて組閣された岸田改造内閣の元、追加の経済対策として補正予算の国会審議が行われた。コロナ禍になって4回目の補正予算、これの審議である。

いちおう形の上では国会論戦が行われてはいた。野党は18歳以下10万円の給付金の支給方式に関する政府方針のブレや、追加の防衛費増額案などを論難していたようだ。

しかし私から見たら、その前にやることがあるだろうと思うのだ。

前年度補正予算の巨額の使い残しについて、なぜそれが生じたのか?予算組み自体は適正であったのか?どこかに問題はなかったのか否か?すなわち【予算の執行】について振り返りを行い、きちんと検証することこそが肝心だと思うのだ。

予見不能なコロナ禍に対して、大事をとって多めの予算を確保していたということであれば、未執行分については、いったんの国庫への返納を議論すべきところだろう。ところが16カ月の予算運用だとか、国家予算の単年度主義の弊害とかあらぬ方向へ主張がいってしまい、野党がこれを諫めるふうもない。

国会では、野党は迫力を出して【予算の〈未〉執行】を追求すべきところだが、そういう様子はない。シャンシャン総会よろしく、事なかれの国会と化している。(これが民間の企業であったらどうだろう?予算化された事業を遂行し、結果を検証し、次なるアクションにつなげる…PDCAを回す中で事業の成果を生み出してゆく。予算と実績の差異を分析し、最適な経営資源の配分を追求する。経営者として当たり前のことだ。この責務を果たさない経営者は、会社の財産を棄損しているわけなので、株主総会で解任されてもおかしくない。株主代表訴訟に発展することもありうるだろう。)

いやはや「国会は国権の最高機関」とは本当なのか?
日本国憲法が泣いているのだ。

国会の空洞化・有名無実化は行くところまでいってしまった。
結局のところ、いかにバラまいたか?で影響力を強めたい政治家と、どさくさまぎれに自らのなわばり(≒省益)を拡げたい官僚、相互の意識・無意識の共謀によって、日本国住民の財産を貪っている、、、これが現実である。

一方でメディアはどうか?
「新聞は社会の木鐸たれ」など野暮は言わない。ただ、20兆~30兆円レベルの巨額の使い残し予算が新政権の元、どのように処理されているのか?せめて事実が追えるような記事は遺してほしいと思う。

ところが「アベノマスクの保管料が6億円」だとか「国会議員の文書通信費が1日で100万円」だとか「国民への給付金、クーポン支給分の事務費用が967億円」だとか、どちらかと言えば些末なことにこだわった報道に偏り、日本国住民をミスリードしている。

私たちも(使い残し予算の)金額が巨額すぎることもあるし、財源が主として国債発行(≒‘国家’という観念体の信用を担保にした「有価証券」発行)によっていることもあり、想像の埒外のお話となり、自分事として痛みも覚えないし、怒りも沸いてこない。結果としてゆるゆるな国家運営が放置されている。

これが私が思う「ヤバい」の中味である。

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ただ、いくら現状の問題を指摘し、非難してみたところで気分は晴れない。言ってる自分だって日本国住民として、現状を消極的に是認している立場にあるのだ。

そこで今回はひとつ、私なりのポンジ・スキームを提案してみよう。2022年、新春暴論だ。

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前年度補正予算の未執行分は、現状の国家運営体制の元では有効に活用できない恐れがある。
だからこれをいったん、私たち日本国住民の〈無尽講〉予算として独立化させる。‘無尽講’とは、住民同士の相互扶助を旨として金銭を融通する組織スキームのことである。わが国ではおそらく信仰上の‘講’を起源とし、その後‘講’の構成員が掛け金を出し合って、構成員が経済困窮したときにお金を融通しあう‘無尽講’へと派生していった。歴史のある庶民の知恵である。

今回は‘へたれ議会民主制’自体を不信任としてリセットし、日本国住民を主体とした令和版〈無尽講〉の国家プロジェクトを立ち上げるのだ。

この無尽講の巨額な予算は、無尽講自体が主体となって暗号資産(cryptocurrency)を発行し、暗号資産の形で保有するものとする。それと同時に無尽講は暗号資産の取引所の運営も行う。この暗号資産は現行法定通貨である日本円との兌換を保証する。発行総量は独自のアルゴリズムに基づきマイニング管理を行い、資産価値を保つ。(この点、日本国政府と日本銀行がつるんで、いつでも青天井で発行できる‘日本円’とは好対照な性格を持つことになる。)

無尽講の運営は、直接住民から構成される任期1年のスタッフが担う。スタッフは陪審員制度にならって、選挙人名簿等から無作為抽出で選任すればよい。あるいは被選挙権同等に誰もが規定の年齢に達すれば立候補できるようにし、立候補者の中から抽せんとしてもよい。もちろん天下り利権などにはしない。1年の時限公務員の直接選出である。

講の構成員となる資格は原則として日本国住民のみ有し、したがってこの暗号資産を保有できるのは、原則として日本国住民となる。日本国住民は講への参加の証としての暗号資産をすべて売却した場合、講の構成員ではなくなり、講のセーフティーネットの恩恵は受けられなくなる。(講への参加は任意であり、国民の義務ではない。)

暗号資産はまず今回の使い残し予算を原資として、日本国住民に均等に割り当てる。仮に1億2000万人の住民がいて、無尽講の予算が24兆円だったとすれば、一人当たり20万円分である。ここから発行にかかわる開発費用等を差し引いた分が住民への実質の割り当てとなる。

日本国住民は自らが経済困窮したときはいつでも、無尽講の事務局に必要な金額分の給付申請を出すことができる。無尽講スタッフは「なぜそのお金が必要なのか?」の申請事由を審査し、承認案件には即時給付を実行する。「コロナ禍で解雇されて、再就職には時間もかかりそうだ」という労働者も、「来月には会社の資金が底をついて、給与も家賃も払えない見通しだ」という経営者も、等しく給付申請ができる。

自分が保有する暗号資産の実勢価格以上の資金を必要とする場合には、プールされている他人分の資金から融通されることになる。(ちなみに実際の給付は暗号資産でなく、日本円で行う。暗号資産は暗号資産として講で管理されたまま、取り付け騒ぎでもない限り、保全される。)また無尽講に対する債務が膨らんだ場合は、債務免除申請を出すことができる。無尽講スタッフは、債務を免除するに足る事由を認めた場合に免除の決定を下す。

もちろん暗号資産の肝であるブロックチェーン技術は実装し、トレーサビリティを持たせることによって、通貨としての信頼性を担保する。

「申請事由」「給付裁定」「債務免除事由」etc.は、すべて当人が保有する最初の暗号資産の中にデジタルデータとして格納される。暗号資産保有者の債務はいくら返済されたのか、免除されたのか?それはなぜなのか?これらのクレジットヒストリーはすべてデータとして閲覧可能となり、給付の裁定やその後の運用が社会良識に照らして妥当なものである限り、通貨としての信用の失墜も起こりにくくなる。

あとはどのようなキャッシュポイントを創っていくか?がこの暗号資産の資産価値を高める上でも重要である。

普通に民間の金融業者と同様に、貸し出しに対して利息を付すという方法がある。利息収入は講の運営費用の足しにもなるし、講の構成員への配当にも充てられる。王道のやり方である。

厳格なマイニング管理によって暗号資産の希少価値を保つことも重要だ。

また、これは私の持論だが、資金決済業務は通貨の健全な流通にも関わる重要な社会インフラ事業であると考える。そうであれば、決済業務を国営企業が担うという選択があってもよい。決済手数料を新しい国家の収入源に育てるのだ。その観点から、この暗号資産の取引所を国営でやる意義もある。取引所へは民間事業者のアクセスも認め、システム利用料を徴収するのもアリだ。

無尽講自体は国民の相互扶助、社会保障を本来の制度主旨としているが、これを暗号資産で運用することにより、国富の増大にもつなげていくのだ。(ひところ「税と社会保障の一体改革」というスローガンを政治家に言わせるのがはやっていたが、令和版〈無尽講〉で「税も社会保険料も不要な世の中に」というは素敵じゃないか?) 

現実にはマイニングをどう管理するかとか、ハッキングをどう防ぐのかとか、不正受給をどう検知するのかとか、様々な技術上、制度設計上の問題がある。理想は、偽造もハッキングもロンダリングも人工知能のアルゴリズムで究極まで排除し、安全・公正かつオープンに管理できるようなシステムを創ることだ。そのためにはわが国の最高レベルの叡智を結集して開発しなければならないだろう。

しかしひとたびシステムが稼働したときのインパクトは大きい。そもそも現在の国家機構から相対的に独立する国家レベルの〈無尽講〉を国民主体の組織として編制しうるのか、、、その出発点からして超難題であるが、やってみる価値は大いにあると思うのだ。日本国住民は、何も勝手にデジタル人民元の後塵を拝して、自己肯定感を低くしている必要はないのだ。

※2月3日補遺:
本稿を書いた後、考えをめぐらすうちに、ここで構想した‘暗号資産’は、どちらかというと〈非代替性トークン〉としての性格を持つものだと思うようになった。では、‘非代替性トークン’とは何か?
私の理解では、固有の財やサービス、行為、意志関係(≒契約や法律)etc.に関して、それが固有であることを証明するデジタルデータの一様式と捉えている。
無尽講の暗号資産は、日本人しか保有できず、代替性のあるビットコインやイーサリアムのように世界の取引所で自由に売買されるものではない。極端に流動性が低い。イメージとしては大相撲の‘年寄名跡’に近い。いくら実績があり、資金力があっても、外国人では購入できない。ただ、これを保有することで配当金が得られるし、売却して現金を手にすることもできる。相続や贈与の対象にもなる。一人一人の日本人に固有の信用履歴をもった財産として、実質の価値があるのだ。
そこでマネタイズの方法としては、暗号資産を小口証券化して、世界中のだれもが売買できるファンドにして売り出す。そこの取引所の各種手数料が、無尽講の収入になる。
またマイニングに関しては、無尽講直営または(日本人個人または日本企業クローズドの)免許制で厳格な供給管理を行う。外国人投資家は直接マイニングに関わって、報酬の暗号資産を受け取ることはできないが、マイニング事業者への出資を通じて、配当が得られる仕組みを創ってもよい。




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シンプルな給付金の支給ルール [私の提言]

2月26日、安倍首相はイベントの自粛要請を行ったが、国家として(イベント中止に伴う)個別の補償はできないという立場を表明している。

確かに個別の事業者の個別の案件について国が関与するのは本来の筋ではないし、実務上も無理があろう。それでも、なんだかなぁ、ひどいなぁ、というのが私の感想であった。

《国家の要請に従った結果、個々の事業者が損害を被った》
どう考えても因果関係がある話だからだ。

国家運営の責任者からはもっと肚の座った第一声を聞きたいところだった。

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その後、さらなる新型コロナウイルスの感染拡大状況を受け、首相は4月7日に東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・大阪府・兵庫県・福岡県を対象地域として非常事態宣言を発出、16日には対象地域を日本全国に拡大した。

イベント興行のみならず、飲食店、百貨店、スポーツクラブ、カラオケ店、パチンコ店、ネットカフェなど幅広い業種にわたって休業の要請が行われ、テレビでは「自粛と補償はワンセットで」という現場事業主の声が連日のように報道されていた。

一方、日本国政府や地方自治体側は緊急の融資制度をスタートさせたり、各種給付金や補助金の策定に向けた動きも見せてはいた。

ただ、日本国政府に関しては、とにかく対応スピードが遅い。

岸田政調会長が与党内で準備してきた減収世帯への30万円給付案は、連立与党・公明党の強い主張によって国民一人一律10万円給付に変更させられた。4月20日閣議決定されたこの「特別定額給付金」の支給は5月29日~6月5日時点での関東34市区に対する聞き取り調査では、調査1000万世帯に対し、支給済み27万世帯、支給率にして2.7%ほどに留まっているという。(東京新聞 Tokyo Web 2020年6月7日)

事業者向けの「持続化給付金」は、私の周りの聞き込みでは、申請から支給までの期間にかなりバラつきがあった。支給がなくて心配な人は窓口のサービスデザイン推進協議会に電話するも、つながったためしもないようである。さすがにテレビ報道であれだけ騒がれたせいもあるのか?オペレーションの見直しを図ったのだろうか?最近は滞っている人に突然メールがきて振込みされたり、直近の申請分に関しては支給までの期間が短くなっているようだ。ァハハ…(´゚Д゚`;)

雇用対策に関しては、従来の「雇用調整助成金」の制度設計を変更し、事業主が従業員に対して支払う休業手当の助成を申請しやすくした。これが6月12日の第二次補正予算の国会成立を受けて、従業員1人あたりの助成額上限が日額8,330円から15,000円へと大幅増額、助成率も上がり、支給期間も延長されることとなった。さらに休業手当が支払われていない会社の従業員に対しては、「新型コロナ対応休業支援金」が創設され、特例的に雇用保険から直接支給することが可能となった。

またずっと懸案であったテナント事業者の家賃支援に関しても、第二次補正予算に組み込まれ、「家賃支援給付金」として中小企業月額家賃上限50万円、2/3助成、最大6カ月支給という制度内容が確定した。

これらの国家による大規模な支援策を安倍首相は「空前絶後」と自画自賛している。

(経済自粛の入り口で、「(個別の)補償はできない」という、国家運営の責任者としては残念な表明をした当人が、3か月後に大規模な二次補正予算を成立させ、「空前絶後」とか「世界最大級」とか言っている。私としては、その思考回路がよくわからない。民間の経済活動を護ることについて、また国家の財政出動について、どういった見識を持って臨んでいるのか?なぞである。)

地方自治体に関しては、鈴木・北海道知事が国家に先行して非常事態宣言を発出したり、吉村・大阪府知事がコロナ対策の出口戦略を唱え、独自に‘大阪モデル’を導入したりと、実務家型の若い首長の矢継ぎ早な対応策の打ち出しが耳目を集めた。彼ら自治体首長のリーダーシップは、国政の停滞・混乱と好対照をなしていた。

ただ(首都東京を除き)総じて各自治体は独自の財源に乏しく、国家からの交付金をあてにしなければ、実効性のある施策を打ち出しにくいのが現状だろう。

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私は彼ら首長より年寄りだが、フレッシュなアイデアはまだ出せる。

というわけで、今回は有事の際の給付金支給のルールについての提言だ。

新たな感染症の大流行という有事に際し、平時通りの経済活動ができなくなってしまった場合、どんなことが起こるだろうか?

企業体は先々の売上見通しが立ちにくいので、設備投資を手控えるだろうし、毎月の固定費負担となる人件費を削る(解雇、雇い止め、新規採用の中止、給与カットetc.)だろう。減った売上でも会社が存続できるよう、人件費以外にもあらゆる固定経費を見直し、削減を行うだろう。取引金融機関に対しては、借入金の返済猶予や追加の融資を交渉し、仕入先には支払サイトを延ばす交渉をして、会社の手元資金(現金)の確保を図るだろう。

個人の経済生活に関しては、無駄遣い(と感じられる)支出(外食費、旅行やレジャー、ファッションの費用、習い事等の月謝etc.)を控え、人によっては不可避で減ってしまった労働時間を他の副業に充てて収入の減少分を補填したり、専業主婦がパート労働を始めたり、、といった行動をとって、先々に備えた貯蓄(現金)増加に意識を向けることになるだろう。

特に今回の場合、人類が初めて遭遇する新型ウイルス感染症である。
専門家ですらいつ、どのように終息するのか?先々を見通すことができないのだから、企業体も、個人もある程度長期の間、見通しが立たないことを前提とした行動をとらざるをえない。
「ウィズ・コロナ」であり、「ニュー・ノーマル」なのである。

こういった個々の行動はよいも悪いもなく、自らの生き残りのための合理的な判断によるものだ。しかしながら、行動の総和は企業設備投資や個人消費の《急激》かつ《大規模》な抑制であり、経済社会全体でお金の巡りを悪くするものだ。景気後退(Recession)が生じ、これが劇症化すれば恐慌(Depression) ということになるだろう。

国家運営にあたる人間は経済社会全体を鳥瞰して、ボトルネックを特定し、そこを手当てする必要がある。自粛は感染症の拡大防止策になっている一方で、経済活動に冷や水を浴びせる側面もある。

やはりここは緊急事態宣言を発出した責任者当人が「イベント自粛や休業による損害は責任をもって補償します」とはっきり言明すべきである。

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新型コロナウイルス感染症の患者が重篤化するケースでは、呼吸・循環器系が障害され、血中酸素濃度が著しく減少することが報じられている。このため医療現場では人工心肺装置を使って、血液循環を外側からサポートする措置が取られている。

翻って経済社会全体を見た時、今回の一連の自粛要請によって、企業設備投資や個人消費が<急激>かつ<大規模>に落ち込み、恐慌(Depression) の引き金を引いてしまう恐れがある。経済を深刻な病態に陥らせてしまう危険がある。これは絶対に避けなければならない。

そこで、いわば経済社会の<人工心肺装置>として国家が財政出動して、民間部門で弱ってしまったお金の巡りを支えるのである。

ただ、この時の財政出動のポイントはタイミングを外さず、スピーディーに集中して行うことである。

その意味において、今回の国政の停滞・混乱ぶりは明らかであった。

類例のない二回の巨大補正予算を組んで、「空前絶後」とか「世界最大級」とか自慢していたが、頓珍漢としか言いようがない。規模は自慢にはならないのだ。国家予算の原資は、本源的には国家の住民から徴収する税金や社会保険料であり、少なくて済むなら少ないに越したことはないからだ。(註1)
(ただ容体が重篤になることが想定されるから、今回はたくさん確保しておこうという話だ)

もはや「人工心肺装置のために患者が要るのか?」「患者のために人工心肺装置が要るのか?」ということすらわからなくなった如くの空言である。

もとより肝心なのは財政出動のスピードである。

給付金の内容に関して、どのような世帯に、いくら支払うのか?
売上がなくなっても雇用だけは守ろうと踏ん張っている事業者に対して、どんな支援をするのか?
家賃負担が限界に達し、釣り銭の用意もままならない飲食店店主をどうやって助けるのか?

個々の事案に対して、いろいろな視点から、いろいろな意見があるだろう。公平性も考える必要がある。しかし一面で公平なことが、別の面で不公平であることもある。いい支援制度を作ること、相応の予算をつけることは大事だが、それ以上に速く対応することが大事だ。「今日の10万円の給付が明日の20万円の給付よりありがたい」ということが、実際の場面ではあるはずだ。

こう考えた場合、ひとまずはざっくり概算で支払います、、という給付金等の支給ルールの原則を決めてしまってはどうか?

「(感染症、自然災害、内乱、戦争等)有事給付金支払特例法」という法律で、有事の際に生じる緊急の民間のお金の需要に対して、行政サイドが即応できるようにするのだ。

別に特別なことではないだろう。実際に会社では、社員の出張に際し、交通費や宿泊費を事前に概算額で仮払いするのは普通のことだ。家庭内で「今度修学旅行に行くからお小遣いちょうだい」と子供から言われたら、親はふつう妥当と思われる概算額を渡すだろう。企業体や家計が有事に、当事者に責任のない事由で経済逼迫してしまったら、(ひとたび緊急事態宣言が発出されれば、いつでも)国家や自治体に(仮払い申請や小遣いの要求のように手軽に)給付金の概算払いの請求ができて、スムーズな受け取りができる。これが理想ではないか?

テクニカルな面で言うと、あくまでも有事対応(緊急事態宣言下)の給付金支給に目的を限定した上で、個人・法人の金融機関口座とマイナンバーの紐づけを行っていくのがいいと思う。これで行政の手続きコストが一気に下がるのと同時に、スピーディーな給付金支給のインフラが整う。(註2)

国家の監視・介入を危惧する個人・法人はマイナンバー紐づけ登録は行わなくてよい。国民の義務にはしない、あくまでも行政サービスのひとつで、登録は任意である。その代わり「給付金は要りません。自分の身は自分で護ります」で済むのだ。

どの会計部門の予算を充てるかは、あとから決めればよい。(そもそも新型コロナ感染症が今後どんな拡がりを見せるのか?終息に向かうのか?だれにもわからないのだ。)最初からきちんと予算を編成し、きれいな支援メニューを揃えるのは不可能である。むしろ感染蔓延の状況に応じて、軌道修正ができる仕組みが望ましい。

その意味では、第二次補正予算で野党が問題視した10兆円という巨額な予備費を、(逆転の発想で)追加支給の必要が生じた場面で、概算払い請求に機動的に充てていくというのはどうだろうか?

給付金の概算払い申請に際して、事業者に対しては、売上規模や業種に応じて、給付対象となる支出項目についてガイドラインを策定する。直近の決算書等でコロナ禍認定要件を満たした場合に、給付金が充てられる支出項目について、人件費、家賃、水光熱費等々具体的に支出項目ガイドラインをチェックして、これを元に給付金申請額を積算して、申請すればいいだろう。

コロナ禍に乗じて不正受給を狙った申請もあるだろうが、これに対しては、支給後一定期間経過後に、実際の支出経費の領収証や振込明細を提出するのと同時に、概算払い申請額と実際の支払分の差額を精算する手続きを経るため、それほど問題にはならないだろう。(註3)

生活者世帯に対しては、(経済生活の支援は事業者が事業のために行う経費支出とは性質が異なる側面があるため)今回のような「特別定額給付金」を、コロナの状況に応じて(必要と認められれば)、国家がその都度追加支給を決めていくというやり方でいいのでは?と思っている。「個人所得の減少分をどう判定して、補償していくか?」というような議論もあるかと思うが、あまり複雑にしない方がいい気がする。この給付金制度の眼目は、あくまで<有事ベーシックインカム制度>のようなものと考えている。

追加支給に際し、もしも「特別定額給付金」の支給要件や支給額に関し、見直しの議論が出るようであれば、新制度が確定するまで、概算払いルールで急患対応すればよい。行政サイドの不手際や不作為に起因するわが日本国住民の財産の毀損や命の損失はぐっと減ることになるだろう。

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註1:国営企業や公社事業の収益や関税などの例外もある。

註2:早急にインフラ構築を目指すのなら、アカウント連携(紐づけ促進)キャンペーンを行えばよい。この際「早期連携でマイナポイント増量」などと謳ってみるのも一考だ。

註3:この精算チェック業務をたとえば税理士の専管業務としてもよい。1申請当たりの適正料金を決めて、概算払い支出項目に組み込んで精算するようにすれば、事業者、行政、税理士トリプルwinのフローができると思う。

























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政治家のKPI [私の提言]

われわれ国民は、選挙で送り出した政治家が国会できちんと仕事をしているかどうかをウォッチして、これを次の選挙の投票に反映させたいし、反映させるべきと思う。投票行動を通じて、がんばっている政治家を評価し、ダメな政治家にはダメ出しをする。当たり前のことである。

しかしながらわれわれも日々の生活が忙しく、国会中継をくまなく見ていられるわけでもなく(そもそもすべての政治家が国会の質疑に登場するわけでもないし)、生活の合間の時間でネットやテレビの報道ニュースをたまたまチェックできたか、できなかったかという状況で、政治家の評価をするしかないのが現実である。

一方、メディア側にとって(大手の新聞社やテレビ局からブログやSNSなどの一般人の発信も含む)、メディアの価値は見てもらえるかどうか、読んでもらえるかどうかにかかってくる。そうすると発信する内容が見る側、聞く側にとっておもしろいかどうかという観点から、情報が取捨選択され、編集・加工されることが多くなる。政治報道も然りである。

これはすなわち私たちの投票行動自体、広義のメディアの影響を受けて歪んだものになりうることを意味する。たとえば今回の選挙で言えば、小池旋風であり、排除宣言後の手のひら返し報道である。

こんな【風】で国会議員を評価するのが選挙なのか?


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そもそもの話、政治家(≒国会議員)はわれわれ国民の代表として選挙で選ばれ、われわれ国民を代表して《立法府》である国会に行くのである。

彼の最も重要な任務は《立法府》で国民のために法律を作ることである。われわれ国民の意志は政治家(≒国会議員)を通じて提出された法案が国会で可決され、《法律》として定立されることで、現実の法治国家で効力を持つのである。

彼の二番目に重要な任務は《立法府》の人間として、《行政府》である内閣が法律に則ってまともに行政活動をしているかを監視することである。たとえば、法律の無視あるいはご都合主義的な解釈によって学校法人の認可がなされた疑いがあれば、この問題について集中審議を求め、質問主意書を通じて内閣に質し、納得のいく回答が得られない場合は、証人喚問を求め、それでも納得ができないとなれば、最終的には内閣不信任案を提出するのである。

このように議会民主制の政治過程を理解できると、選挙がいかに大事なことか、さらに選挙で国民に対して掲げる《公約》《マニュフェスト》がいかに重たい約束であるのかも理解できるようになる。

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閑話休題

ビジネスの現場では、KPI(Key Performance Indicator)という指標が導入されることがある。この指標は、手がける事業が目的の達成に向かって適切に進行しているかどうかを測るための客観的なものさしになる。

新規に立ち上げた事業部門では、新規の問合せ件数であったり、リピート注文率であったり、返品率だったりする。工場では不良品の発生数や発生率であったり、人事部門では離職者数や離職率であったりする。

私は結果責任が問われる政治の世界においても、《政治家》および政治家の組織である《政党》のパフォーマンスを評価する手段として、すべからくKPIを導入すべきだと思う。そしてこのKPIは、選挙公約の実現度合いの評価指数を中心に据えるべきだと思う。

掲げる公約によって、実現可能性や達成の難易度はまちまちかと思う。
そこをいかに客観的な指標に変換できるか、、、研究の余地がある。

質問主意書や議員立法の提出本数、法案可決率、公約実現の難易度評価など複数の評価指標を統合してスコアリングするようなものになるだろうか?

信頼できる「政治家のKPI指標」が出来上がり、この指標が国民の間に周知されるようになれば、政治家が選挙公約の実現に真剣にコミットするようになりうる。国民と政治家との間にいい意味での緊張感が生まれると思う。


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第二東電は可能か?-‘脱原発’都政への提言③ [私の提言]

東京都が株主主権を行使して東京電力を支配することは、現行制度下では難しいことがわかった。

そこで次に考えうるのは、東京都が独自に電力供給-調達の仕組みをつくること、すなわち‘第二東電’の可能性である。

震災後、電力の大消費地である東京都は、東京電力に電力供給を依存している現実の危うさを知った。

電力供給は国の専管事項ということで、矛盾した現実を受け入れてきた。

しかし、それは電力消費者として主体性がなく、無責任な態度である。

そのことを私たちは理解した。

震災が起きた2011年、大都市・東京の経済生活に責任を負う東京都首長、副首長も<当事者>として問題意識を持ち、具体的な提案をしている。

「天然ガス発電所リプレースPT」スタート!

首都圏はファンド創設で‘第二東電’をつくる。九都県市首脳会議で新提案。

あらゆる産業活動や国民の経済生活の根幹をなす‘電力’。
この‘電力’という全国民的な共通利害にかかわるインフラストラクチャー、国家戦略レベルの問題に、東京都が主体的に取り組み始めたことは、大いに注目すべきである。

一、東京都が主導して、東京湾に100万kWの天然ガス発電所を作るプロジェクトを立ち上げる。

二、東京電力の実情として、老朽化した火力発電所の再稼動により、原発の停止で供給がなくなった電力分を1500万kW程度(うち九都県市が1000万kW)カバーしているという現状を踏まえ、東京電力管内の老朽火力発電所を新規のものへリプレースする。そのための資金調達の方法として、(事故の損害賠償に追われ、設備更新の資金余力のない東京電力にかわり)東京都主導で官民連携ファンドを創設し、外資を含む民間資金を呼び込む受け皿を作る。

震災直後、石原東京都知事(当時)は「東京は日本のダイナモだ!」と咆えた。
猪瀬副知事(当時)はリーダーシップを発揮して、実務レベルで‘第二東電’創設に動き出した。

日本復興会議としても今後の成果を、‘刮目して待つ’である。


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ところが・・・である。

2014年12月現在、すでに新聞社系の記事は(時間切れ)削除となり、リンク先がないのだが、猪瀬知事(当時)は2013年9月、都議会での質問に答える形で、副知事時代に立ち上げた100万kWの天然ガス発電所の建設プロジェクトの中止を表明したのだ。

理由は、首都圏では2012年、2013年と懸念された夏の電力不足には陥っておらず、電力事情が震災直後とは大きく異なっていることを挙げた。その一方で、老朽化火力発電所には故障による運転停止のリスクがつきまとっていることを踏まえ、火力発電所のリプレース促進に全力を注ぐ旨の説明があった。

すっかりトーンダウンしてしまった。

しかもこの点に関して、自身のブログでの説明もなければ、どういうわけか報道記事も地味だった。
2014年12月現在、ウェブ上にはプロジェクト中止で立ち上がった2チャンネルの板あたりしか、当時の状況をたどれる情報がなくなってしまった。

私はここに不自然さを感じている。


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突然中止になってしまった東京湾100万kW天然ガス発電所プロジェクト。

‘脱原発’都政を力強く進めるためには、こういったシンボリックでスケールの大きなプロジェクトを進めることが、わが日本国民の意識変革のためにも重要ではないかと思っている。

いつの日にか、お蔵入りの<第二東電>プロジェクトが復活することを熱望する。






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株主として何ができるか?-“脱原発”都政への提言② [私の提言]

今回の都知事選で“脱原発”候補は、東京都が東京電力の株主であることを足場として“脱原発”の方向性を打ち出すことを目指した。現実問題として、このようなことは可能なのか?

まず、現在の東京電力がどういう会社なのか?株主構成から見てみよう。

・原子力損害賠償支援機構 1,940,000,000株(54.69%)
・東京電力従業員持株会     47,306,000株(1.33%)
・クレディ・スイス・セキュリティーズ(ユーエスエー)エルエルシー
エスピーシーエル.フォー イーエックスシーエル.ビーイーエヌ  43,727,000株(1.23%)
・東京都 42,676,000株(1.20%)
・三井住友銀行 35,927,000株(1.01%)
・日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 29,222,000株(0.82%)
・日本生命保険相互会社 26,400,000株(0.74%)
・みずほ銀行 23,791,000株(0.67%)
・日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 18,836,000株(0.53%)
・日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口1) 15,252,000株(0.43%)
・その他  1,323,880,531株(37.3%)
・発行済株式総数 3,547,017,531株(100%)

→参考資料 株式等の状況 東京電力HP 2013年9月30日現在

原子力損害賠償支援機構が株式の過半を保有する筆頭株主であることがわかる。
東京都は4番目に株式数を保有する大株主ではあるが、保有比率は1.2%に過ぎない。

ここで原子力損害賠償支援機構が筆頭株主になった経緯を振り返ろう。

民主党政権下、「原発事故の一義的責任は東京電力にあり」とされ、東京電力には事故被害の補償、事故発電所の廃止、電力の安定供給という電気事業者としての責務を全うすることが求められた。その過程で資金不足が見込まれるならば、国が手当てをしましょうという筋で、原子力損害賠償支援機構が設立された。実際には2012年7月に国が承認した特別事業計画に基づいて、第三者割当増資がなされた。機構(=日本国)が種類株式を引き受けることで、機構(=日本国)が54.69%の株式を保有する筆頭株主となった。

原発事故処理の目処がついて、自律的に事業運営ができるようになるまでは、国が特別事業計画に沿って、電力会社を管理し、必要なファイナンスを実行していくというスキームができたわけだ。このスキームは自民党政権になっても継続している。

さてここで、東京都が株主としての支配権を確立しようと、東京電力の株式公開買い付けを行ったと仮定しよう。
首尾よく100%の買い取りに成功したとしても取得株式数1,607,017,531株は(発行済株式総数-機構保有株式数)で45.3%と過半数に至らない。機構(=日本国)が依然最大株主として君臨している。機構(=日本国)は事業運営を安定化させることを目的として株式を保有しているのであって、現時点で保有株式を売却することはありえない。

また機構(=日本国)が引き受けた種類株式は正確には2種類あり、A種は議決権つき、B種はいざという時に議決権が付与される株式となっている。この仕組みにより、機構(=日本国)出資時点で、機構(=日本国)が1/2以上の議決権を取得し、B種株式のオプションにより潜在的に2/3超の議決権の取得が可能になっている。

また機構(=日本国)と東京電力との株式引受契約においては、東京電力に対する機構(=日本国)の支配権を絶対にするために、細目が取り決められている。たとえば、株式の発行や処分、資本金の変更、組織再編、「機構の議決権割合や持株割合を希釈化させる蓋然性のある行為」、株主総会の召集、総会議案の内容の決定、取締役会規程その他重要な社内規程の変更や廃止etc.・・・といった事柄は機構の承諾や機構との事前協議が義務づけられている。微に入り細に入る取り決めになっているのだ。

→参考資料 第三者割当による優先株式発行に関するお知らせ 東京電力HP

以上から、現時点で東京都が株式を買い集めていっても、東京電力の事業運営の主導権を持つにいたることは難しいと言えるだろう。



東京都知事選が終りました -“脱原発”都政への提言① [私の提言]

“脱原発”を争点化する細川元首相の参戦で注目していた東京都知事選が終った。

結果は桝添要一氏の圧勝。投票率は46.14%と低調で、“脱原発”の風は吹かなかった。

“脱原発”を志向する政治家には、捲土重来を期してもらいたい。

で、私としては

なぜ原発再稼動なのか?再稼動しなければならないとして、どうやって安全性を担保するのか?あるいは、なぜ脱原発なのか?原発ゼロへ向けた工程表はどうなっているのか?再生可能エネルギーはどうやって振興を図るのか?原発事故被災地としての福島とどう向き合うのか?使用済み核燃料はどうするのか?etc.・・・広汎にわたって原発問題を徹底議論する「政治の場」が必要だと考えている。

国民の胃の腑に落ちるまで、政治争点として議論しつくすのだ。

そうしたら日本に新しい風景が視えてくると思うのだけれど、現状はまだまだ・・・

原発再稼動推進勢力はなしくずし的に昔ながらの原発政策に戻そうとしているようだし、一方で対抗する勢力は“脱原発”の青写真がはっきり描ききれているのか?心配するところもある。

わが国の原子力発電の歴史を考えると、「脱原発」と言って、そう簡単に実現できるものではないことがわかる。

原発ほど安定かつ安価な電源は今のところない。(註:バックエンド費用は無視したとしての話である)またエネルギー安全保障の観点もある。同盟国アメリカとの関係もあるだろう。政界・官界・財界・学界・報道界の強力な利権構造もある。

脱原発勢力は広く国民的な議論を盛り上げ、政治争点化を図る一方で、歴史のある原発政策を分析し、政・官・財・学・報の関連するプレーヤーの力の源泉を理解し、その力をどうのように削いでいくのか?どのように対抗勢力を退場させるのか?その後にどうやって新勢力を乗り込ませるのか?あるいは新組織を編制するのか?etc.・・・を具体的に考えつくさなければ、“脱原発”は進まないと思う。
政治家(=statsman)としての力量が試されるのだ。

実態としては“国策”そのものの原子力行政に地方自治を足がかりとして、“脱原発”の道すじをつけることはできるのか?この点に関して、本会議で私の提言を発信していきます。



原発のシンプルな立地原則-原発ってそういうものだったのか会議③ [私の提言]

原子力発電所を建設しようとした場合、人口密度の高い首都圏ではそもそも地価が高い上、地権者も多く、用地を手当てするのに高いコストがかかってしまう。また万一の事故により大気に放射性物質が飛散するリスクもあって、人口密度が高いほど住民合意をとりつけることが困難になる。このため福島原発のように電力供給の管轄エリアでない海沿いの過疎の町に原子力発電所を造って、首都圏に電力供給するような形がとられることにもなる。背景にはわが国のエネルギー供給を原子力発電を中心に行っていこうという国家の意志(産業界とその意向を受けて関連立法を行った国会議員や経済官僚の総意)と、交付金によって地元を潤わせようという地元政治家や町長の思惑との一致がある。

ところが今回の福島原発のようにひとたび深刻な事故が起きると、地元住民は生活の糧を奪われたり、放射能による健康被害を被ったり、避難所暮らしを余儀なくされたりetc.と一方的に多大なリスクに晒される現実に直面する。こんな不条理な話はない。

私は原子力発電所の立地はシンプルな原則によって行ったらいいと思っている。
すなわち特定の発電所で生産された電力は、その電力を実際に消費する地域住民や企業体が、発電のリスクも含めて引き受けるという原則である。

この受益者負担原則を活かすには、地方自治体レベルで自らが消費している電力の発電方法を選択するという根本のルールを作ればよい。その結果、ある自治体では「放射能汚染のリスクに晒されるのはイヤだ」という県民の総意を打ち出して、自然エネルギーによる電力供給へのシフトを行うだろうし、別の自治体では「原子力発電こそ環境負荷が少なく、経済性のよい、安心・安全・安価な電源だ」として、自らのリスクで原子力発電を推し進めるだろう。電力を大量に使用するデータセンターや大規模生産設備の誘致を目論んで、安くて潤沢な電力の供給基地となる戦略構想を打ち出すのも一計である。

話を変えよう。
現在、原子力政策を推し進めようとすると「原子力は必要、でもわが町には原発はいらない」という総論賛成・各論反対の無責任な議論にはまりこみ、先に進まない。そこで最終的にはお金の力で地域住民を懐柔して決着させる。時代遅れでいやらしい方法だと思う。地方の過疎地の原発立地町村に交付金という「迷惑料」を支払って原発のリスクを引き受けてもらい、首都圏住民の電源を確保する、こういういびつな電力供給のあり方は変えてゆく時期にきているのだ。

私たちは実際の自分の居住地域の電力の発電方法を、自分の責任とリスクにおいて選択し、他の居住地域の住民に勝手にリスクを押しつけないようにするのだ。もし自分の居住自治体が住民投票のプロセスを踏んで、原発推進の選択をしたらどうするのか?原発反対の住民は多数決の民主的な決定に従うよう自分自身を納得させるか、耐え難い場合には自然エネルギー推進の自治体エリアに引っ越すのだ。「いいとこ取り」はなしだ。引越しの負担も小さくはないが、私にはこの方法が最も公平な現実の解決策に思える。

受益者負担原則によって電源開発を行うメリットは他にもある。
まず遠いところに立地した原子力発電所から送電を行う場合、距離に比例して電力が失われていく。これが消費地立地が原則となると、意味のない送電ロスが減り、電力の発電効率が高まる。同様に長距離の送電に必要な送電線や変電所の建設・保守といったコストが大幅に削減され、その分発電コスト単価を押し下げる。

「危険があっても安い電力」を選ぶか?「安全で高い電力」を選ぶか?
それは私たちの自由だ!






津波シェルター-ドラえもん会議③ [私の提言]

地震が起きて、次に津波が襲ってくることが予測される場合、想定される津波の高さに対応して、予めスーパー堤防を築いたり、日常生活において避難訓練を行っておくことは、意味のあることである。

しかし今回は堤防の高さを上回る津波に襲われたり、避難誘導を行うはずの役場職員が早々に津波に飲みこまれてしまったりetc.・・・想定外の出来事が起きたということがわかってきた。

私たちは防災の設計はあらゆる「想定外」を想定して、三重・四重の対策を講じておくことが大事だと、あらためて認識させられた。

津波を防いだり、津波から逃れることは大事である。
私が思うのは、それに加えて「津波に流されても生存できる」ことも真剣に考えてみたらどうかということだ。家屋にゴムボート、浮き輪、ライフジャケットといった類の船に常備している救命具を備え付けるのも一案だ。

さらに進めて安全にかつより高い確率で生存をサポートするものはないか?
そう考えた時に「津波シェルター」というアイデアが浮かんだ。

「津波シェルター」はどんな建築様式の家屋にも取り付けられる汎用性があって、いざ津波が襲ってきた時は津波の力によって、取り付けた建造物から自動的にはずれて、ぷかぷかと海に浮かぶようにするのだ。海面を漂っていれば、救助対象として発見しやすいだろう。また発見が少々遅れても大丈夫なように飲料水や食料をシェルター内に備蓄しておくのだ。

シェルターは普段の生活で使わない部屋だと、案外物置になってしまったりして役に立たない恐れがある。ワインセラーやオーディオルームなど趣味性の高い部屋というのも多くの日本人に馴染むものではない。そう考えると日常生活で頻繁に使用して、なおかつシェルターに転用できそうなものとして「ユニットバス」というアイデアが浮かんだ。

ユニットバスならばすでにモジュール化している上、津波災害対応の機能を規格化して付加していきやすいと思われる。

今回の津波は様々なものを飲み込んで黒い水となって押し寄せてきているから、飲み込まれたら視界ゼロだろうし、鉄筋建ての建物をなぎ倒すほどの巨大なエネルギーを持っているのだ。ライフジャケットや救命ボートではあまりにも心許ない。やはり堅牢な造りのシェルターを用意した方が安心・安全である。また避難所生活の困難はトイレに始まり、トイレに終わるとも聞いている。その点ユニットバスがシェルターとなれば、どうやって屎尿処理するか技術上の問題はあるにせよ、通常備え付けのトイレを転用できるのは大きなアドバンテージである。






緊急救助システム-ドラえもん会議② [私の提言]

倒壊家屋の下敷きになっている人や津波で家屋ごと流されている人を首尾よく捕捉して、地図にその人たちの位置情報を表示することができれば、救助の指針として大いに役立つだろう。

そこで例えば人間が腕時計のように体につける形でICチップを装着し、いざという時にポンとたたくなりして非常時「ON」の状態にする。するとICチップからは微弱な電波(SOS信号)が発生する。災害対策本部に設置された受信装置の方では、この微弱電波(SOS信号)を捕捉して、即座に救助対象者のマッピングを行う・・・そんなシステムはできないものだろうか?

大規模災害では、救助対象となる人たちが大勢いすぎて、すべての人を速やかに救出することができないことも想定しなくてはならない。その場合、人命救助のプライオリティを設定する必要が出てくる。救助の第一のプライオリティは「生存者」ということになると思う。そうすると、例えばICチップが心臓の拍動の生体電気信号を拾って、送信する電波に多重化できれば、生存者をほぼリアルタイムでつかむことができる。

また心拍数は救助対象者の容態をある程度反映していると言えるから、例えば心拍数が一定以上に上がった個体、あるいは一定以下になった個体、急激に心拍数の上昇が見られた個体など、心拍数を救助の優先順位決定の基準とすることができる。

私がイメージしたシステムの問題点としては、非常時「ON」のアクションがとれない、例えば病人や乳幼児をどう扱うかということがある。これは、例えばあらかじめ家族の者が当人のICチップを自分のものと同期して作動するように登録申請する仕組みを作れば解決するだろう。(ちなみに非常時にはじめてスイッチ「ON」にするのは、平時に個人のプライバシーを守る意味から「OFF」にしているべきだと考えるからである。)

追伸 記事執筆にあたりネットサーフィンをしていると、こんなガジェットをみつけた。 → 秋月パルス
デバイスのセンサー部分に指先を置くと、指先の毛細血管の赤外線吸収量の変化を計測して、パターン解析、心拍数を割り出すとTwitterに「俺、生存なう」「俺、頻脈なう」などと自動投稿するという。
おもしろいですね。



空からの救助は?-ドラえもん会議 [私の提言]

テレビで三陸沖の津波の恐ろしい映像を目にしていると、この瞬間にも人が溺れ、力尽きようとしている、あるいは倒壊家屋の下敷きになり、身動きがとれず、命が尽きようとしている、そんな想像が働いて、いてもたってもいられなくなってくる。ただテレビを見ているだけではどうしょうもない、この瞬間に何か打てる手はないだろうか?切迫した思いが募る。

そこで凡人の私としては、この時の思いと共に考えたアイデアを記して、今後の防災体制作りなり、防災上の技術開発なりのヒント・・・「触媒」のようなものとなりえないだろうかと考えた。私の拙いアイデアは隙をみてブログにアップします。

素人の素朴なものの見方は、専門家の視野狭窄に陥ったものの見方より、時として妥当なものを含むはずだ。それと人間は他の動物と違って、他人の考えを受け取って、それを基に自分の考えを推し進めて「類」として進歩発展する存在でもある。主旨ご賢察いただけたら幸いです。

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さて、今回の震災でどれ程の被害が出るのか見当もつかないけれど、より多くの人命を救うには時間との闘いになるだろうと私は思った。自衛隊が出動し、各国の災害救助隊も続々と駆けつけた。しかし道路は地震と津波で寸断され、災害現場に入っていけない。テレビで廃墟と化した街並みの瓦礫の山を見ていると、災害現場に直接空からアプローチしないと解決しない気がした。テレビを見る限りではよくわからなかったが、最も急を要する災害発生直後の人命救助の場面で、被災地の状況や要請に応じて、ヘリコプターをはじめとして空からの救助活動を展開する態勢は整っていたのだろうか?気になるところだ。

わが国では、阪神淡路大震災の反省から、ヘリコプターによる防災・救難活動の必要性が認識されて、少なくとも数の上では世界有数のヘリコプターの保有国となったようだ。陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊は救難用に、あるいは人員・物資の輸送用にヘリコプターを相当数保有しているし、消防庁、警察庁、海上保安庁の各組織も消防・警備・人命救助などの目的で、やはりヘリコプターを相当数保有している。問題はこれらのヘリコプターが必要に応じて、きちんと稼動したかどうかである。この点ぜひ多面的に検討して、運用上ボトルネックとなる箇所がなかったか検証してもらいたい。




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