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過去最大の補正予算って本当なのか!? [から騒ぎ]

2021年12月20日、補正予算が国会成立した。
歳出総額は過去最大で約36兆円にのぼるという。

岸田内閣は「子育て世代への臨時特別給付金」や「住民税非課税世帯等に対する臨時特別給付金」や困窮学生向けの「就学継続資金」、企業向けには「事業復活支援金」と、コロナ禍が落ち着いてきた中でも、なぞに手厚い支援メニューを用意してきた。

私は前回の投稿の補記で、前年2020年度の補正予算の繰越金が30兆円もある状況で、また追加の補正予算を組んで経済対策をやるのだと喧伝していることに対し、私なりの皮肉を言ってみた。

(以下)
新任の部門責任者が前任の責任者の施策を正しく検証することなしに、新しい施策のアドバルーンを上げて、まわりにアピールする、組織にあるあるな状況と一緒である。

そうやって【雑に】国富が使われる、、、決して望ましいことではない。

→ バラマキ政策を超える-2021年衆議院選挙によせて

しかし、事の真相はそこではない。

というか、前年度補正予算の30兆円レベル(国家予算の3割だ!)の予算未執行分がどう消化されるのか?あるいは消化されずに国庫に戻されるのか?この未執行分は今回新年度補正予算とどう関連しているのか?といったことを追いかけることこそ、重要なことなのだ。

国家予算編成の元「中の人」高橋洋一政策工房会長による解説はこうだ!
→ 補正予算過去最大36兆円!の大嘘 
(高橋洋一チャンネル)

新年度予算に組み込まれた支援メニューのいくつかは前年度の‘売れ残り’(=執行残予算)を新年度に‘新商品’(=新年度予算)であるかのように見せて、書き換えたものにすぎない。したがって報道されている補正予算36兆円のうち、この重複分約10兆円弱を差し引いた純粋な新規予算は、特別に大きなものではない。

むしろ安倍・菅政権下、約100兆円という世界のトップレベルの補正予算を編成しながら、3割も未消化で終わらせてしまった。このため日本の景気回復が他の先進国に比べて遅れてしまった現状がある。このことが問題である。

予算執行ができなかったのは、端的には‘補助金系’支出の支援策が多く、これらの施策は、申請がなかったり、申請に手間取ったりするために、支出がなかなか難しいことに起因している。だから新年度予算を同じような‘補助金系’支出中心とすれば、また同じように未執行となる可能性がある。

‘補助金系’支出の方法には‘概算払い’と‘精算払い’の2種類がある。本来緊急時にはスムーズな支給が可能となる‘概算払い’が適しているが、‘精算払い’中心の運用になっていた。

このあたりは本会議でも、支援のスピードをいかに高めるのかを考えて、私なりに提言を行っている。
→ シンプルな給付金の支給ルール

実は私、高橋洋一氏は菅内閣官房参与に登用されてもいたし、新自由主義を推進する勢力の知恵袋なのだろうと思っていたが、そういう勝手なレッテル貼りはよくない。反省しよう。

確実な予算執行の方法として、「減税」や「社会保険料の減免」などラディカルな提言をしているところは、なかなかにおもしろいと思った。(それこそ、れいわの政策主張の中にまるごと取り込んだら、迫力を出せそうだと思う。)勉強になりました。ありがとうございます。


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‘盛り土’問題によせて [から騒ぎ]

静岡県熱海市伊豆山土石流は、7月3日、逢初(あいぞめ)川の上流域の山の斜面で発生、砂防ダムを乗り越え、全長約2kmに及んだ。下流では幅100m以上となって住宅約120棟を飲み込む惨事となった。7月15日現在で死者12名、行方不明者16名となっている。

土石流は近年の気候変動に伴う大量降雨によって惹き起こされた激甚な自然災害である…最初はそう思ってテレビを見ていたが、どうやら土石流の大半は‘盛り土’であることが分かってきた。大量降雨という自然の猛威が発端ではあるが、人為的になされた‘盛り土’が大量の水分をため込んだ末、物理的に崩壊・流出したということだ。すなわち人災の要素を持っているということだ。※註1

※註1 今回のような谷筋の‘盛り土’についてはウィキペディアに適切な解説があったので、ここに転載しておきます。「谷筋、沢を埋めるように盛土を行なった場合には、表面上の見た目はなだらかに平坦状となったとしても、元来の水筋はその地下に残存し、地中の水として存在し流れる。大雨などにより、その地中水量および水圧が増し、盛土を崩壊させる場合がある。さらに下流に向かう土石流となる場合もある。斜面の傾斜に応じて、水防ダムおよび水抜きを設けて危険を防止する必要がある。」

土石流の起点となった‘盛り土’現場にダンプカーが登っていく様子は、住民にもたびたび目撃されていた。崩れないだろうか?大丈夫だろうか?と日ごろから思われていたようだ。この件に関し、住民から市議会議員への陳情もあったようだ。

最初の報道では崩壊‘盛り土’現場付近にあるメガソーラーに疑惑の目が向けられたが、メガソーラー設置者(=現在の土地所有者)は、‘盛り土’の事実を知らなかった旨を主張。逆に瑕疵物件を売った旧所有者への法的措置も検討中だという。

それで旧所有者はどうかというと小田原市にあった不動産管理会社で、すでに清算した法人だという。この会社は2009年に‘盛り土’の計画を熱海市に届け出て、実際に造成を行っている。ただ、‘盛り土’にガラ(建設廃材、コンクリート片、木切れetc)(=産業廃棄物)を混入していたため、市から是正指導を受けていた。また静岡県の調査によると、‘盛り土’は崩壊時点では、2019年の届け出時の15mをはるかに超える50mの高さに達していた模様だ。

これらの状況から考えると、この会社は登記上は不動産管理会社となっているが、実態としてはもぐりの産業廃棄物収集・運搬・投棄を主たる業務としていたと推察できる。それで、法律の不備を突いて‘盛り土’と称して、収集したいろんな廃棄物をこの地に捨てまくっていた。※註2 ひょっとしたら、あとは野となれ山となれで、計画的に会社を清算したのかもしれない。行政指導を受けた場合は、申し訳程度に従ってやりすごす。一方で時に威力を行使する...行政サイドからみても厄介な事業者であった可能性もありそうだ。

※註2 宅地造成等規制法では、がけ崩れまたは土砂の流出を生ずるおそれが著しい市街地等を『宅地造成工事規制区域』と指定して、区域内の造成工事が安全に施行されるよう許認可制度を設けている。しかし今回の土地は当該市街地等には当たらないため、ただの届け出だけで、容易にもぐり処分場として出来上がってしまったということだろう。

いろいろな問題点もあり、まだミステリーな部分もある事件である。すでに‘盛り土’事業者が法人としてはなくなってしまい、指導しようにも指導できない状況もあった。ただ私が残念だと思うのは、住民が‘盛り土’の危険性を感じていながら、時に危険だという声もあげていながら、これに対し、行政が有効な手立てを打てなかったこと、「住民の命を護る」ことが結果としてできなかったことである。状況から考えると、行政の予算を割いて‘盛り土’の危険を除去するしかないところにきていたと思う。





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風を読む~2017年衆議院総選挙をめぐって [から騒ぎ]

森友問題・加計問題を追求しようと野党が求めた臨時国会が9月28日、ようやく開会になるかと思いきや、なんと安倍首相はのっけから衆議院解散を決めてしまった。(実質は25日の開会前報道発表なので、からっぽの国会なのだ)

安倍首相は野党第一党・民進党がごたごたして党勢が一向に上向かないことや、小池東京都知事の国政政党立ち上げの進捗等の情勢判断から、「やるなら今だ」と解散を決めたのだろう。

この動きに対し、すばやい反応を見せたのが小池都知事であった。

9月27日には国政政党「希望の党」を立ち上げ、自らが代表に就任した。側近の若狭議員に加え、民進党離党議員らを迎え入れ、小池都知事と国会議員13名での船出。結党会見では「日本をリセットするために党を立ち上げる」と表明した。

さらに小池都知事は民進党の前原代表との会談で、民進党の解党→希望の党への合流を決断させる。前原代表は28日の民進党両院議員総会で「名を捨てて実を取ることで理解いただきたい」と希望の党への合流を党の同志たちに提案した。

一方で30日には、小池東京都知事(兼希望の党代表)は松井大阪府知事(兼日本維新の会代表)、大村愛知県知事とで共同会見。よくわからないが「メガロポリスが協力して日本を盛り上げましょう」という「三都物語」構想(?)を発表した。もちろん同時にぬかりなく国政政党・希望の党と日本維新の会は選挙区棲み分けで協力しましょうという合意をとりつけることも忘れなかった。

このあたりの一連の動きを見ていると、政局に対する感度、リーダーシップ、スピード感など、小池都知事の政治家としてのず抜けた力量を感じる。「すわ政権選択選挙!」とわれわれ日本国住民の期待感を一気に高めていく。一言で言えば【風】の巻き起こし方が抜群に上手いのだ。

もちろんこの風は、国会議員たちにも吹きかかる。

「今、この風に乗っておくかな」という打算が働く。

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小池都知事は民進党議員の希望の党合流にあたり、選挙への公認権を握ると「安全保障、憲法観といった根幹で一致していることが政党の構成員として必要最低限だ」とし、排除の論理を振りかざして民進党議員をふるいにかけた。このあたり自らは常にオフェンスサイドにいて、仕掛け続けているのは見事なものだと思う。

しかし、ここで排除される側が反撃(?)に出た。
排除が予想された枝野議員が10月2日、「国民の生活の安心、立憲主義、民主主義、自由な社会をしっかりと守っていくために」立憲民主党の立ち上げを表明した。これで民進党リベラル、左派議員の受け皿ができた。また理念で一致できる部分があるから、共産党、社民党との選挙協力も一挙に進んだ。

われわれ日本国住民の中には、拙速な改憲論議に対しては、健全な「不安感」「不信感」を抱く人も多いかと思う。(これはリクツとは別の問題で、人の命に真面目に向き合ったときに自然と湧き出る感覚に根ざしている)

だから私はこの第三極の動きは、小池旋風で護憲勢力が後手後手に回った中での動きであり、急ごしらえであるのは否めないが、かえって好感される面もあり、一定の得票数を得るものと予想している。

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小池都知事は自らが巻き起こした旋風に、ちょっとうかれ過ぎたか?
さすがに「排除とは調子に乗りすぎだ、傲慢だ」と感じる人が多かったのか?

10月10日選挙公示後はじめての選挙情勢調査では、「自民党単独過半数の勢い」「希望の党は小選挙区に擁立した198名のうち優勢はわずか7名、比例は30議席程度」(読売新聞)というかなり衝撃的な調査結果が明らかになった。

希望の党は台風の目かと思ったが、気がつけばただの低気圧になってしまった。

振り返れば2016年の小池議員の東京都知事立候補に始まり、都民ファーストの会立ち上げ、東京都議会選挙での会派圧勝etc.・・・自らの打つ手、打つ手がおもしろいように当たり、一気に政権の座が掴めるところまで来た。そこに過信・勘違いが生まれた。(人間だもの)

「排除とは傲慢な!何様だ!」
自らが起こした旋風は副次的にいろいろな乱気流を生み出した。

小池旋風を持ち上げていたメディアは「緑のたぬきの化けの皮が剥がれた」とか「策士、策に溺れる」とか手のひらを返して、言いたい放題。(そういう私も言いたい放題)

ともあれ、10月22日の総選挙で国民の審判は下る。

台風一過、雲ひとつない青空の下、まがい物は濁流に流され、本物がきらきら輝く宝物を持って漂着している、、、

そんな風景を私は夢想する。









タグ:政権選択
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TPPでバターはどうなる!? [から騒ぎ]

TPP(環太平洋経済連携協定)は大筋合意に達したと言う。

合意内容は日本国民にとって評価できるものなのか否か?

今回は私の大好きな「バター」を取り上げ、「TPPでバターはどうなる!?」の観点から、合意内容を考えてみることにする。

【乳製品】に関するTPP合意まとめ
・現行の国家貿易制度を維持する。
・バターと脱脂粉乳の優遇輸入枠を新設する。
・優遇輸入枠は発効当初は生乳換算で6万トン、6年目以降は7万トンとする。

産経BIZ 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の要旨参照


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

バター好きな私としては、昨今のバターの品薄状態は大いに不満、かつどうして先進国・日本でバターが不足するのか?スーパーの陳列を見ても牛乳が品薄の様子もないし、チーズは普通にあるのに・・・、天候などの外部要因で製造に支障をきたすものでもなかろうに・・・「品切れ中」とか「お一人様1個限り」とか、とにかく納得がいかない。

バター不足については、こんな事情が語られている。

「(バターの)慢性的な不足の背景には、酪農家の減少とバター特有の‘役割’が影響している。(中略) ‘ガラス細工’。農水省はそんな言葉を使って、最近の慢性的なバター不足の原因を説明する。

不足の最大の理由は、酪農家と乳牛が減り、原料となる生乳(せいにゅう)の生産量が減ったからだ。2014年度の生産量は約733万トンで、ピークだった1996年度の約866万トンから約15%減。国内では牛乳と乳製品を作るには年間約1200万トンの生乳が必要で、国産だけでは足りない。

保存がきかない生乳は、品薄になると消費者が最も困る牛乳に最優先で使われる。次に値段が高い生クリーム、長期保存しにくいチーズ。バターや脱脂粉乳は需要の2、3カ月分の在庫があるのが理想だが、余りで作られるため生乳不足の影響を真っ先に受ける。

‘需給の調整弁’のバターは、生乳の廃棄や品薄を防ぐ役目も担う。生乳が余るなら生産が増え、足りなければ減らされる。民間が自由に輸入できない国家貿易の対象でもある。国内酪農家を守るため、高い関税と引き換えに一定量を輸入。不足すれば追加輸入するが、生乳の需給バランスは天候や乳牛の体調に左右され、見極めが難しい。『ガラス細工を扱うようだ』と言われるゆえんだ。」
(引用⇒朝日新聞デジタル2015年6月8日バター、今年も品薄 自由に輸入できない需給のからくり)

農水省は国内生産者(=一次産業)保護がレーゾンデートル。
生産者が望むか望まないか、消費者が望むか望まないかとは無関係に、とにかく国内生産者を守るという大義で仕事をしている。その仕事自体が自己目的化している。

バターに関しては、国内酪農家保護を旨としてガチガチの国家貿易制度をしいている。農水省は輸入バターの国内市場へのアクセスを制限する一方、傘下の外郭団体、独立行政法人農畜産業振興機構(alic=エーリック)を通じて、国内の需給関係のコントロールを図ってきた。

エーリックは国内酪農家が供給する生乳を自らの裁量で、自らが計画して「牛乳」、「生クリーム」、「チーズ」、「バター」といった用途に割り振ってきた。それが、最近では酪農家と乳牛の減少トレンド、あるいは気象変動の影響による生乳不足などによって、乳製品の国内需要にうまく対応させることができなくなってしまった。そのしわ寄せが《生乳の需要の調整弁》の役割を担わされた「バター」ににきて、スーパーでの品薄、高値となって現象した。それで消費者が不利益を被っている。

・・・これがコトの顛末である。

農水省関係者は「ガラス細工の扱いは私たちには無理でした」と素直に反省し、バターの需給管理を、ある程度市場原理に委ねられるようにするべきである。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

で、今回のTPP合意である。

【乳製品】に関するTPP合意を再度掲げる。
・現行の国家貿易制度を維持する。
・バターと脱脂粉乳の優遇輸入枠を新設する。
・優遇輸入枠は発効当初は生乳換算で6万トン、6年目以降は7万トンとする。

乳製品に関して、国家貿易制度の維持、すなわち関税や輸入数量制限といったかたちで、これからも国家が輸入品を管理してゆくことを認めさせた。これは少なくとも「国内酪農家保護」の大義がある農水省にとっては戦果であろう。

優遇輸入枠が新設されたことは、上述の役人の「国内生乳の運用計画の拙さ」をカバーするものであり、わが日本国住民の消費者利益には適う方向性である。

ただバターの国内需要量は生乳換算約200万トン(出典:農林水産省生産局畜産部「牛乳・乳製品及び牛肉の貿易の状況」平成16年7月)と推定すると、優遇輸入枠が発効時6万トン、6年目以降7万トンという割当数量は国内需要量の3%台の比率でしかない。

はたしてこの程度の輸入数量で「国内生乳の運用計画の拙さ」をカバーしきれるものか?・・・今後も気をつけて見てゆきたい。

もう一点、優遇輸入枠の関税率が何%なのかがこの報道内容だけではわからない。またエーリックが従来輸入業者に課してきた「マークアップ」というエーリックへの納付金がどうなっているのか?このあたりも今後は注視してゆきたい。

TPPに関しては識者がメリット・デメリット様々に喧伝しているが、各合意内容について個別・具体的に吟味する必要があると感じている。

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がれきの広域処理キャンペーン-がれきとは何か?① [から騒ぎ]

震災から丸1年を迎えた2012年3月11日、野田首相は記者会見で、がれきの広域処理についてふれ、災害廃棄物処理特別措置法に基づいたがれきの受け入れを、被災3県(岩手県、宮城県、福島県)を除く全国各都道府県に正式要請することを明らかにした。

環境省の推計によると東日本大震災で生じた災害廃棄物(いわゆる‘がれき’)の量は岩手県、宮城県、福島県の沿岸市町村合計で2246万トンにのぼる。陸地に残ったがれきは仮置き場に一時的にストックされているが、被災自治体の処分能力には限りがあり、山積みされたがれきは物理的に復興の障害になっている。このような背景の中で広域処理が喧伝されるようになった。広域処理の対象となるのは放射性物質の濃度が不検出または基準以下の低さの岩手県と宮城県のがれきで、広域処理希望量が岩手県で57万トン、宮城県が石巻ブロック294万トン、亘理名取ブロック44万トン、東部ブロック6万トン、気仙沼ブロック検討中という状況である。
→環境省広域処理情報サイト

被災地のがれきは復興の妨げになっているから、これを迅速かつスムーズに処理することは‘震災復興’という全国民的共通利害に適うのだという考えのもと「災害廃棄物処理特別措置法」という法律が国会で全会一致で採択された。

特措法により、財政力の弱い被災自治体のがれき処理を国が国庫負担でバックアップして進める法的基盤が整った。

そこでにわかに登場してきたのが「がれきの広域処理」論である。

野田総理は言う。
「改めて強調したいのは、がれきの広域処理の問題です。岩手と宮城の大量のがれきは被災地だけでは処理できません。‘被災地’と‘それ以外’、‘国’、‘自治体’と‘国民’という区分けをして考えるべき事柄ではなく、すべての国民が‘当事者’である、という前提で、考えていただきたいのです。」
「関東大震災のがれきは海に埋め立てられ、横浜の名所、山下公園に姿を変えました。今回のがれきも再生利用によって、防潮林や避難のための高台などに姿を変え、明日の災害から人々を守ってくれる存在になってくれれば、と思っています。助け合い、支え合った日本人の気高き精神を世界が賞賛しました。今こそ再び、日本人の国民性が問われています。(中略)国民の皆さんの‘助け合い’の心が再び如何なく発揮されることを私は信じています。」
がれきの処理をみんなの力で-3月14日官邸かわら版)

いいこと言うなぁ、助け合い、支え合いの精神が大事だよ、わが日本復興会議の文脈で言うと「新しい公共」ということだな、今こそ困っている被災地のためにがれきを引き受けよう[わーい(嬉しい顔)]


いや、しかし何か変だぞ[爆弾]

仮にがれきが震災復興の妨げになっているのが本当だとしても、「がれきの広域処理」がベストプラクティスである根拠が報道を見ていてもわからないし、唐突の感があるのだ。

今回はがれきの処理を全国民レベルの問題として、国の費用負担、つまり処分費用の原資をわが日本国民の税金として処理していくスキームを作ったのだから、日本国民たる私たちは、その方法が最善の選択なのか?をそれこそ「当事者」としてきっちりと見極めたいのだ。

たとえば現在被災地では、あらかたのがれきが仮置き場にまとまっているとして、これを被災自治体内の人のいない適地を探して仕分け→再集約して置きなおす。そして現地のニーズに応じて、防潮堤の地盤にしたり、宅地のかさあげ造成の地盤にしたり、最後に残るものを焼却処分したりして、徐々にがれきを減らしていくということでは駄目なのか?

その方が移動にかかわるエネルギーコストやマンパワーを減らせるし、受け入れ地のゴネ住民との折衝に要らぬエネルギーを使わないですむ。また何よりも受け入れ地に国からの交付金が迷惑料として払われる必要も少なくなる。

一方で被災自治体なり復興公社のようなところで、現地のニーズを掴んで、被災して職を失った人たちを雇用して、ニーズに応じた仕事を提供していけば、地元でお金が回りだし、より大きな経済波及効果・乗数効果を生み出すのではないか?その方がよっぽど震災復興に資することになると思う。


すでに女川町や宮古市と個別に協定して、がれき受け入れで先行する東京都だが、受け入れ表明の際の住民反発に接し、石原都知事は咆えた。
「(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから‘黙れ’と言えばいい。」
「皆、自分のことばかり考えている。日本人がだめになった証拠だ。」
がれき処理反対には「黙れ」 石原都知事「皆の協力必要」-MSN産経ニュース2011年11月4日)

ことさらに「日本国」という観念体を意識して、そのあり方を大事にする石原慎太郎という政治家の言動としては一貫性がある。またエゴ住民を「黙れ」と一喝して事を進める、このようなリーダーシップが東京都の首長として長く都民から支持されている一面であるのは否定できない。

私は以前、わが川崎市が福島県のがれき受け入れ申し出た時の住民のから騒ぎを本会議で論じたことがある。→拙稿参照 放射能パニック症候群?
この時もそうだったが、住民の心配は得体の知れない放射性物質の影響ということが一番にある。いくら許容量基準がシーベルトだ、ベクレルだと言って啓蒙しても、人の感受性は様々で、平気な人と心配でしょうがない人がいるのだ。また小さいお子さんがいる親御さんは(自分はいいけど)子どもが心配ということになると思う。


話がそれた。
「がれきの広域処理」にはどんな隠されたモチーフがあるのか?最後にこのことにふれよう。

私の妄想性仮説を許してもらえばこういうことだ。
つまり「がれきの広域処理」は、ごみ処理ゼネコンが、みんなで儲けましょうと考えたことに始まっている。そして(自治体首長を含む)政治家にも官僚にもマスコミ関係者にも毒が回って、また100%善意の関係者の意志にも支えられて、今回のキャンペーンと相成ったのだ。私たちの助け合いの心、支え合いの気持ちを人質にして、がれきは処理されてゆくのでしょう。























放射能パニック症候群? [から騒ぎ]

今回の福島第一原発事故を通じて、私たち人間は「放射能汚染」が私たち人間を含む「自然界」への脅威となることをあらためて認識させられることとなった。放射性物質は空気中を舞い、大地に舞い降り、生命体に取り込まれ、食物連鎖の中で人間にも取り込まれる。さらに取り込まれた放射性物質は甲状腺に蓄積され、発ガンにつながったり、白血球の減少を招いたり、遺伝子に作用して異常な細胞分裂を誘発したりする・・・

教育されればされるほど、知識を啓蒙されればされるほど、私たちは放射性物質の物性に恐ろしいイメージを持つようになる。そして大気中に放射性物質が飛散したとの報道があればマンションの部屋の換気弁を閉める、水道水に放射能が検出されたとの報道があればミネラルウォーターの買出しに向かう、外国政府が在日外国人に日本からの避難勧告を出したとの報道があれば、わが日本人も「日本政府の発表は信頼できない」となって、慌てて西に向かうetc.他の動物と違って想像力がたくましい人間は、恐ろしい放射能のイメージを膨らませ、膨らんだイメージに囚われの身となる。未来のあり方を想像し、予期恐怖から現在の行動が異常なものとなる。

わが川崎市の阿部市長が大震災で被災した福島県を訪問し、がれきなどの災害廃棄物処理の協力を申し出たことに対し、2000件を超える苦情が市に寄せられていると言う。

川崎市のごみ処理を担当する処理計画課などには「放射能に汚染されたものを持ってくるな」「子供が心配」といった苦情の電話やメールが殺到。中には阿部市長が福島市出身であることを挙げ、「売名行為だ。福島に銅像を建てたいだけだろう」というものもあったという。川崎市は「放射能を帯びた廃棄物は移動が禁止されているため、市で処理することはない」と説明。市のホームページでも安全性や理解を呼びかけている。
「子供が心配」…福島ごみ処理支援で川崎市に苦情2000件超(産経ニュース 2011年4月14日)

阿部川崎市長の申し出は困った時はお互い様という人道的な支援の気持ちに発しているのだろう。しかし、川崎市住民の受け止め方は神経症的な様相を帯びている。地域のエゴなのか?石原都知事が言うところの日本人の「我欲」の現れなのだろうか?

今回の福島第一原発の問題を考える時に忘れてはならないことがある。
福島第一原発は首都圏への電力供給を目的として、日本国の要請に基づいて福島県に立地させられているということだ。福島には経済的な補償との取引において立地しているとは言え、電力供給の第一の受益者は首都圏住民や首都圏立地の企業体であることは言を俟たない。福島住民にとってはとんだとばっちりなのだ。福島はいまや世界の「FUKUSHIMA」として「放射能汚染」地域として物理的にも風評的にも計り知れない被害を被ったのだ。こんな不条理があるだろうか?

「原子力は必要だ、でも私の町に原発はいらない」という考えは「我欲」だと思う。総論賛成、各論反対の議論は各人の「我欲」が堂々巡りをしているだけで、いくらしても意味がないのだ。

石原都知事は「東京が貧乏になったっていいじゃないか」と言っていた。
そんなことを言うんなら、自分だって一日都知事になってひと言、言ってみたくなったぞ。

「東京に原発があったっていいじゃないか!」



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