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バラマキ政策を超える-2021年衆議院選挙によせて [覚醒]

本日は衆議院選挙の投票日である。

岸田首相率いる与党自民党は分厚い中間層の復活のために、‘成長’のみならず‘分配’にも配慮した政策を実行すると公言している。一方の野党も立憲民主党かられいわ、共産党にいたるまで、消費税減税、給付金等の手当てなど再分配により、大企業よりの政策をあらため、国民の生活を守ると言っている。

対立軸が消費税率を何%にさげるとか、給付金を10万円にするとか、いやうちは20万円だとか、分配の大小を競うような話が多い。私から見ると、どれもこれも選挙民におもねり、選挙民の歓心を買う《バラマキ政策》に映ってしまう。

だから「すわ、政権選択!」という高揚感がまったくない。


たしかにコロナ禍ではあった。

意に反して、失業したり、経営が傾いたり、自分の力ではどうしようもない状況に追い込まれることもあっただろう。しかし、これについては、都合3回にわたり補正予算の編成が行われて、2020年度予算の繰越金が30兆円にも上った現状がある。

こと‘分配’について、政治が何もしなかったわけではないのだ。

雇用調整助成金は、国が企業の人件費の多くを肩代わりすることで、航空会社や鉄道会社など国内の重要インフラ企業を含む、多くの企業の倒産を防いだ。休業支援金は、シフトを減らされたアルバイトの給与を補填してくれるありがたい制度だ。

岸田首相は「成長と分配の好循環」による「新しい資本主義」を標榜するが、今のところ、概念がないところに言葉をもってきたという類の話である。

零和(ゼロサム)日本において、どのような資本主義を構想するか?これは日本国住民にとって大きな課題である。

※(2021年11月11日補記)
衆議院選挙を経て、11月10日、第二次岸田内閣が発足した。首相は数十兆円規模の経済対策を取りまとめ、早々に補正予算の成立を目指すという。

家計部門については、特別定額給付金の第二弾は、連立を組む公明党の主張を大方で飲んで、18歳以下ひとり10万円の給付とした。(年内に5万円を現金で、来春目途に5万円を、使途を教育目的に限定できるようなクーポン方式で給付する。給付対象は個人年収960万円未満という形ばかりの所得制限がついた。) 同時に住民税非課税世帯に10万円、またコロナ禍で困窮した学生向けに、就学継続を支援する目的で10万円を給付するという。生活困窮者に対しては、菅内閣の時に緊急小口資金特例貸付の延長線上に用意された「生活困窮者自立支援金」の仕組みで、世帯当たり月額6万円~10万円を継続して手当する。

事業者向けの給付金については、昨年の持続化給付金なみの規模で(11月から3月までの5カ月分、まとめて一括で、事業規模に応じて最大250万円)、支給要件も緩和して支払うという。また雇用調整助成金の支給は来年3月まで延長するという。

(なぜだかわからないが日本のコロナ感染者数が急速に減って、緊急事態宣言も解除されているというのに)なぞに手厚い支援なのだ。

岸田首相は「現場で起こっている問題に正面から取り組み、国民の信頼と共感を得ながら、丁寧で寛容な政治を進めていく」と言っている。

しかし、前年度から30兆円もの予算が繰り越しとなった現実がある。2020年6月の第二次補正予算で計上された休業支援金などは、予算額5442億円に対し、2020年10月1日時点で支給額が予算の3.1%の約167億円にとどまっているという。
→ 休業支援金、企業が協力渋り支給3% 申請書は手当不払いの違法「自白」 東京新聞web
直近2021年9月23日時点では、支給額は予算の35.1%、約1902億円とのことだ。 → ヤフーニュース

弱い立場にあるアルバイトを助けるいい制度なのに、なぜ十分に活用されていないのか?「現場で起こっている問題に正面から取り組み」、ボトルネックを見つけ出し、運用の改善を行っていくことが大事なのに、それがなされているとは思えない。

新任の部門責任者が前任の責任者の施策を正しく検証することなしに、新しい施策のアドバルーンを上げて、まわりにアピールする、組織にあるあるな状況と一緒である。

そうやって【雑に】国富が使われる、、、決して望ましいことではない。


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令和初の選挙なのだ [覚醒]

「令和」という元号を初めて聞いたとき、「零和」=【ゼロサム】を連想した。

ゼロサムとは一方がプラスになればもう一方が同じ分量だけマイナスになり、全体の総和は
変わらないという概念。

令和時代、日本国の資本制社会もいよいよどんずまり、全体のパイの拡大がない中でそれぞれに特殊・個別的な利害をもった国の住民たちがそのパイを奪い合う。

企業視点からは、労働力は同一の品質ならば、より安い方が好ましいし、需要変動に応じて調整可能な派遣・スポットの労働力は使い勝手がいいからどんどん使う。従来型の正社員ベースアップは凍結したい。このような流れの中で、労働分配率はさがり、利益をかつてなく上げている大企業群がある。

ゼロサム社会では、政治がこの企業行動の結果がもたらす弊害を、是正する役割(=国富の再分配)をより強力・意識的に行う必要があるかもしれない。

今日は、令和時代初の国政選挙、参議院選挙の投票日である。

わが日本国住民はどんな選択をするのでしょうか?

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Don't Give Up! Keep Pushing! Keep Moving! See the Light! -「核なき世界」への道① [覚醒]

2017年7月7日、核兵器の全面禁止を目的とした“核兵器禁止条約”(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)が122カ国の賛成多数により、国連会議で採択された。「核なき世界」への力強い一歩である。

そして核兵器禁止条約の国連総会での採択を含め、条約の推進に貢献したことが評価され、運動主体たる“核兵器廃絶国際キャンペーン”(International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)はこの年、ノーベル平和賞を受賞した。“核兵器廃絶国際キャンペーン”( 通称ICAN)は条約を起案し、国連会議での採択へ向けた各国政府へのロビー活動を主導した。

この“核兵器廃絶国際キャンペーン”の運動と連帯し、運動のシンボルとして自らの被爆体験を語ってきたのが、サーロー節子さんだ。

今日はこのサーロー節子さんのノーベル平和賞受賞スピーチを転載します。

( 以下転載)
陛下、ノルウェーノーベル委員会の皆さま、この場にいる、また世界中の仲間のキャンペーナーの皆さん、皆さま、この賞をベアトリスと共に、ICAN運動にかかわる類い希なるすべての人たちを代表して受け取ることは大変な光栄です。皆さんお一人お一人が、核兵器の時代を終わらせることは可能であるし、私たちはそれを成し遂げるのだという大いなる希望を与えてくれます。

私は、広島と長崎の原爆投下から奇跡的に生き延びた被爆者の一人としてお話をします。私たち被爆者は、70年以上にわたり、核兵器の完全廃絶のために努力をしてきました。

私たちは、世界中でこの恐ろしい兵器の生産と実験のために被害を受けてきた人々と連帯しています。長く忘れられてきたモルロア、エッケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニなどの人々と。その土地と海を放射線により汚染され、その体を実験に供され、その文化を永遠に混乱させられた人々と。

私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が激しく爆発して終わることも緩慢に毒に犯されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いて行こうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちの生存の物語を語り始めました。人類と核兵器は共存できないと。

今日私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げたすべての人々の存在を感じていただきたいと思います。皆さんに、私たちの上にそして私たちの周りに、25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。

米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。私は今でも鮮明にその朝のことを覚えています。8時15分、私は窓から目をくらます青白い閃光を見ました。私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。

静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の中で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」とかすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。

そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「諦めるな、押し続けなさい。あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう?そこに向かって、なるべく早く、這って行きなさい」と言うのです。私はそこから這い出てみると、崩壊した建物は燃えていました。その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体には異常な、想像を超えた破壊がありました。

幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、火傷を負い、黒こげになり、膨れあがっていました。体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。飛び出た眼球を手に持っている人たち。お腹が裂けて開いている人たち。そこから腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延していました。

このように、一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。住民のほとんどは一般市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、私自身の家族や、351人の同級生もいました。

その後数週間、数カ月、数年にわたり、何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、次々と不可解な形で亡くなっていきました。今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。

広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳の甥、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。

私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常を、これ以上許していてはなりません。

私たち被爆者は、この苦しみと、生き残るためまた灰の中から自らの人生を立て直すための険しい闘いの中で、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。くり返し、私たちは証言をしてきました。

それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正しい戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

今日9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒の淵へと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「抑止」論なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

核武装国の政府の皆さんに、そして「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムの不可欠の一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願したい。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。

私は13歳の少女だったときに、くすぶる瓦礫の中に捕らえられながら、押し続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃墟の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「諦めるな。押し続けろ。光が見えるだろう?そこに向かってはって行け。」

今夜私たちがオスロの街をたいまつを灯して行進するにあたり、核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう。どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、押し続け、この光を分かち合い続けます。この光は、この一つの尊い世界が生き続けるための私たちの情熱であり、誓いなのです。
(NHK NEWS WEB 日本語訳)

英語のスピーチ映像はこちら


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選挙ですね [覚醒]

野田総理は自らが政治生命をかけて取り組んだ「税と社会保障の一体改革」に一定の道すじをつけたとして11月16日、衆議院を解散を表明。12月16日の総選挙が決定した。

流動化する政局、いわゆる第三極の選挙に向けた態勢作りも急ごしらえで、有権者・国民にとってもわかりにくい状況が生まれている。

あわただしい1ヶ月だったが、本日ついに衆議院選挙の投票日。
国民の審判の日を迎えた。

今回は3.11以降初めての国政選挙として、私たち日本国民の主権者としての意志を表明する大きな意味をもっている。

各政党、各候補者の主義主張を見極めて、きっちり主権者・国民の意志を示そう。

では、選挙に行ってまいります。



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「我欲」と「新しい公共」の弁証法 [覚醒]

石原都知事の「地震は天罰」発言が国民の反感を買っている。

「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人の垢をね・・・。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ。」
石原知事「津波で我欲洗い落とせ」「天罰だ」 (産経ニュース2011年3月14日)


石原知事が最近よく口にする「我欲」。
日本人は金欲・物欲・性欲にまみれ、政治も経済も社会もみんな自らの欲望を第一として事が運んでいる、この日本の現実を捉え、日本人のアイデンティティーを「我欲」と表現したのでしょう。

我欲にまみれた日本人に天罰がくだったとは酷い言い草である。

しかし言わんとすることはわからなくもない。



翻って、大震災という日本の非常時に国家運営を担う民主党はどうか?

民主党政権の初代首相、鳩山由紀夫は「新しい公共」という理念を掲げた。

「働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に働くことによって人を支え、人の役に立つことは人間にとって大きな喜びとなります。
 私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う‘新しい公共’の概念です。‘新しい公共’とは、人を支えるという役割を‘官’と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。」 (第173回国会における所信表明演説-首相官邸HP

鳩山政権下ではこの新しい価値観・理念を政治・経済・社会の現場に浸透させるべく、‘新しい公共’円卓会議なる有識者会議を数回開催している。その後菅政権となり、会議の開催はなくなったが、施政方針演説では引き続き「新しい公共」の推進が謳われている。

今回の震災では、自らの命を顧みず、不眠不休で事故対応にあたる福島原発の東京電力社員、自らが被災しながらも、まわりの被災者の診療を続ける医師、退避勧告地域の病院で動きのとれない入院患者の世話をする看護婦、今やらなくていつやるのだと喜んで招集に応じる予備自衛官、その他本当にたくさんの日本人が人のためにと働いている姿を報道で知った。

また、地域、職場、通勤電車、通りがかりの人たち同士でも共に助け合うという気持ちが一気にあふれ出しているのがひしひしと感じられる。

図らずも日本人の心に「新しい公共」が目覚めたのだ。

「我欲」にまみれた私たち日本人にも、こんな美しい相互扶助の精神があったのだ。

今回の東北・関東大震災とそれに関連して発生した一連の事象は、そういう意味で天の啓示。

バブル後20年にわたる経済の停滞、国民からの信用を失った政党政治、精神の変質を表す劣悪・変態性事件の数々etc.

このどうしようもない日本国の閉塞状況を打破する、またとない機会がやってきている。




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