がれきの広域処理キャンペーン-がれきとは何か?① [から騒ぎ]
震災から丸1年を迎えた2012年3月11日、野田首相は記者会見で、がれきの広域処理についてふれ、災害廃棄物処理特別措置法に基づいたがれきの受け入れを、被災3県(岩手県、宮城県、福島県)を除く全国各都道府県に正式要請することを明らかにした。
環境省の推計によると東日本大震災で生じた災害廃棄物(いわゆる‘がれき’)の量は岩手県、宮城県、福島県の沿岸市町村合計で2246万トンにのぼる。陸地に残ったがれきは仮置き場に一時的にストックされているが、被災自治体の処分能力には限りがあり、山積みされたがれきは物理的に復興の障害になっている。このような背景の中で広域処理が喧伝されるようになった。広域処理の対象となるのは放射性物質の濃度が不検出または基準以下の低さの岩手県と宮城県のがれきで、広域処理希望量が岩手県で57万トン、宮城県が石巻ブロック294万トン、亘理名取ブロック44万トン、東部ブロック6万トン、気仙沼ブロック検討中という状況である。
→環境省広域処理情報サイト
被災地のがれきは復興の妨げになっているから、これを迅速かつスムーズに処理することは‘震災復興’という全国民的共通利害に適うのだという考えのもと「災害廃棄物処理特別措置法」という法律が国会で全会一致で採択された。
特措法により、財政力の弱い被災自治体のがれき処理を国が国庫負担でバックアップして進める法的基盤が整った。
そこでにわかに登場してきたのが「がれきの広域処理」論である。
野田総理は言う。
「改めて強調したいのは、がれきの広域処理の問題です。岩手と宮城の大量のがれきは被災地だけでは処理できません。‘被災地’と‘それ以外’、‘国’、‘自治体’と‘国民’という区分けをして考えるべき事柄ではなく、すべての国民が‘当事者’である、という前提で、考えていただきたいのです。」
「関東大震災のがれきは海に埋め立てられ、横浜の名所、山下公園に姿を変えました。今回のがれきも再生利用によって、防潮林や避難のための高台などに姿を変え、明日の災害から人々を守ってくれる存在になってくれれば、と思っています。助け合い、支え合った日本人の気高き精神を世界が賞賛しました。今こそ再び、日本人の国民性が問われています。(中略)国民の皆さんの‘助け合い’の心が再び如何なく発揮されることを私は信じています。」
(がれきの処理をみんなの力で-3月14日官邸かわら版)
いいこと言うなぁ、助け合い、支え合いの精神が大事だよ、わが日本復興会議の文脈で言うと「新しい公共」ということだな、今こそ困っている被災地のためにがれきを引き受けよう
いや、しかし何か変だぞ
仮にがれきが震災復興の妨げになっているのが本当だとしても、「がれきの広域処理」がベストプラクティスである根拠が報道を見ていてもわからないし、唐突の感があるのだ。
今回はがれきの処理を全国民レベルの問題として、国の費用負担、つまり処分費用の原資をわが日本国民の税金として処理していくスキームを作ったのだから、日本国民たる私たちは、その方法が最善の選択なのか?をそれこそ「当事者」としてきっちりと見極めたいのだ。
たとえば現在被災地では、あらかたのがれきが仮置き場にまとまっているとして、これを被災自治体内の人のいない適地を探して仕分け→再集約して置きなおす。そして現地のニーズに応じて、防潮堤の地盤にしたり、宅地のかさあげ造成の地盤にしたり、最後に残るものを焼却処分したりして、徐々にがれきを減らしていくということでは駄目なのか?
その方が移動にかかわるエネルギーコストやマンパワーを減らせるし、受け入れ地のゴネ住民との折衝に要らぬエネルギーを使わないですむ。また何よりも受け入れ地に国からの交付金が迷惑料として払われる必要も少なくなる。
一方で被災自治体なり復興公社のようなところで、現地のニーズを掴んで、被災して職を失った人たちを雇用して、ニーズに応じた仕事を提供していけば、地元でお金が回りだし、より大きな経済波及効果・乗数効果を生み出すのではないか?その方がよっぽど震災復興に資することになると思う。
すでに女川町や宮古市と個別に協定して、がれき受け入れで先行する東京都だが、受け入れ表明の際の住民反発に接し、石原都知事は咆えた。
「(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから‘黙れ’と言えばいい。」
「皆、自分のことばかり考えている。日本人がだめになった証拠だ。」
(がれき処理反対には「黙れ」 石原都知事「皆の協力必要」-MSN産経ニュース2011年11月4日)
ことさらに「日本国」という観念体を意識して、そのあり方を大事にする石原慎太郎という政治家の言動としては一貫性がある。またエゴ住民を「黙れ」と一喝して事を進める、このようなリーダーシップが東京都の首長として長く都民から支持されている一面であるのは否定できない。
私は以前、わが川崎市が福島県のがれき受け入れ申し出た時の住民のから騒ぎを本会議で論じたことがある。→拙稿参照 放射能パニック症候群?
この時もそうだったが、住民の心配は得体の知れない放射性物質の影響ということが一番にある。いくら許容量基準がシーベルトだ、ベクレルだと言って啓蒙しても、人の感受性は様々で、平気な人と心配でしょうがない人がいるのだ。また小さいお子さんがいる親御さんは(自分はいいけど)子どもが心配ということになると思う。
話がそれた。
「がれきの広域処理」にはどんな隠されたモチーフがあるのか?最後にこのことにふれよう。
私の妄想性仮説を許してもらえばこういうことだ。
つまり「がれきの広域処理」は、ごみ処理ゼネコンが、みんなで儲けましょうと考えたことに始まっている。そして(自治体首長を含む)政治家にも官僚にもマスコミ関係者にも毒が回って、また100%善意の関係者の意志にも支えられて、今回のキャンペーンと相成ったのだ。私たちの助け合いの心、支え合いの気持ちを人質にして、がれきは処理されてゆくのでしょう。
環境省の推計によると東日本大震災で生じた災害廃棄物(いわゆる‘がれき’)の量は岩手県、宮城県、福島県の沿岸市町村合計で2246万トンにのぼる。陸地に残ったがれきは仮置き場に一時的にストックされているが、被災自治体の処分能力には限りがあり、山積みされたがれきは物理的に復興の障害になっている。このような背景の中で広域処理が喧伝されるようになった。広域処理の対象となるのは放射性物質の濃度が不検出または基準以下の低さの岩手県と宮城県のがれきで、広域処理希望量が岩手県で57万トン、宮城県が石巻ブロック294万トン、亘理名取ブロック44万トン、東部ブロック6万トン、気仙沼ブロック検討中という状況である。
→環境省広域処理情報サイト
被災地のがれきは復興の妨げになっているから、これを迅速かつスムーズに処理することは‘震災復興’という全国民的共通利害に適うのだという考えのもと「災害廃棄物処理特別措置法」という法律が国会で全会一致で採択された。
特措法により、財政力の弱い被災自治体のがれき処理を国が国庫負担でバックアップして進める法的基盤が整った。
そこでにわかに登場してきたのが「がれきの広域処理」論である。
野田総理は言う。
「改めて強調したいのは、がれきの広域処理の問題です。岩手と宮城の大量のがれきは被災地だけでは処理できません。‘被災地’と‘それ以外’、‘国’、‘自治体’と‘国民’という区分けをして考えるべき事柄ではなく、すべての国民が‘当事者’である、という前提で、考えていただきたいのです。」
「関東大震災のがれきは海に埋め立てられ、横浜の名所、山下公園に姿を変えました。今回のがれきも再生利用によって、防潮林や避難のための高台などに姿を変え、明日の災害から人々を守ってくれる存在になってくれれば、と思っています。助け合い、支え合った日本人の気高き精神を世界が賞賛しました。今こそ再び、日本人の国民性が問われています。(中略)国民の皆さんの‘助け合い’の心が再び如何なく発揮されることを私は信じています。」
(がれきの処理をみんなの力で-3月14日官邸かわら版)
いいこと言うなぁ、助け合い、支え合いの精神が大事だよ、わが日本復興会議の文脈で言うと「新しい公共」ということだな、今こそ困っている被災地のためにがれきを引き受けよう
いや、しかし何か変だぞ
仮にがれきが震災復興の妨げになっているのが本当だとしても、「がれきの広域処理」がベストプラクティスである根拠が報道を見ていてもわからないし、唐突の感があるのだ。
今回はがれきの処理を全国民レベルの問題として、国の費用負担、つまり処分費用の原資をわが日本国民の税金として処理していくスキームを作ったのだから、日本国民たる私たちは、その方法が最善の選択なのか?をそれこそ「当事者」としてきっちりと見極めたいのだ。
たとえば現在被災地では、あらかたのがれきが仮置き場にまとまっているとして、これを被災自治体内の人のいない適地を探して仕分け→再集約して置きなおす。そして現地のニーズに応じて、防潮堤の地盤にしたり、宅地のかさあげ造成の地盤にしたり、最後に残るものを焼却処分したりして、徐々にがれきを減らしていくということでは駄目なのか?
その方が移動にかかわるエネルギーコストやマンパワーを減らせるし、受け入れ地のゴネ住民との折衝に要らぬエネルギーを使わないですむ。また何よりも受け入れ地に国からの交付金が迷惑料として払われる必要も少なくなる。
一方で被災自治体なり復興公社のようなところで、現地のニーズを掴んで、被災して職を失った人たちを雇用して、ニーズに応じた仕事を提供していけば、地元でお金が回りだし、より大きな経済波及効果・乗数効果を生み出すのではないか?その方がよっぽど震災復興に資することになると思う。
すでに女川町や宮古市と個別に協定して、がれき受け入れで先行する東京都だが、受け入れ表明の際の住民反発に接し、石原都知事は咆えた。
「(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから‘黙れ’と言えばいい。」
「皆、自分のことばかり考えている。日本人がだめになった証拠だ。」
(がれき処理反対には「黙れ」 石原都知事「皆の協力必要」-MSN産経ニュース2011年11月4日)
ことさらに「日本国」という観念体を意識して、そのあり方を大事にする石原慎太郎という政治家の言動としては一貫性がある。またエゴ住民を「黙れ」と一喝して事を進める、このようなリーダーシップが東京都の首長として長く都民から支持されている一面であるのは否定できない。
私は以前、わが川崎市が福島県のがれき受け入れ申し出た時の住民のから騒ぎを本会議で論じたことがある。→拙稿参照 放射能パニック症候群?
この時もそうだったが、住民の心配は得体の知れない放射性物質の影響ということが一番にある。いくら許容量基準がシーベルトだ、ベクレルだと言って啓蒙しても、人の感受性は様々で、平気な人と心配でしょうがない人がいるのだ。また小さいお子さんがいる親御さんは(自分はいいけど)子どもが心配ということになると思う。
話がそれた。
「がれきの広域処理」にはどんな隠されたモチーフがあるのか?最後にこのことにふれよう。
私の妄想性仮説を許してもらえばこういうことだ。
つまり「がれきの広域処理」は、ごみ処理ゼネコンが、みんなで儲けましょうと考えたことに始まっている。そして(自治体首長を含む)政治家にも官僚にもマスコミ関係者にも毒が回って、また100%善意の関係者の意志にも支えられて、今回のキャンペーンと相成ったのだ。私たちの助け合いの心、支え合いの気持ちを人質にして、がれきは処理されてゆくのでしょう。
2012-04-11 13:16
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