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防疫安保論(後編)-ばいきんまん会議⑥ [統治論]

改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に則り、東京都、大阪府、兵庫県、京都府、愛知県、福岡県、北海道、広島県、岡山県の9都道府県に発出されていた緊急事態宣言は、当初の定めの5月31日の期限から、感染者数や病床稼働率の推移を踏まえ、6月20日までに延長された。またGW期間の人流増加の影響をもろに受けて感染が拡大した沖縄県に対し、5月23日から緊急事態宣言が発出された。(期限は6月20日)

以上の10都道府県について、6月14日時点では、宣言解除や「まん延防止等重点措置」への移行が検討されているようだ。その後のオリンピック・パラリンピック開催強行→総選挙の流れも意識しているのかもしれない。

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今夏の東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ感染の蔓延状況がどのレベルであれば開催されるのか?あるいは開催されないのか?この国民の関心事にだれも答えてくれない。

6月9日の党首討論においても、菅首相は「安全安心な大会の開催」へ向けて、具体的な開催の判断要件に踏み込むことはなかった。そして野党が求める会期延長もなく、国会は閉会。首相はイギリスでのG7サミットへ旅立ってしまった。

日本国民はなめられまくっている。ひどい話なのだ。

オリンピック・パラリンピックの開催契約をIOC(国際オリンピック委員会)、IPC(国際パラリンピック委員会)と結んでいるのは、主催都市である「東京都」ではある。しかし、その「東京都」は「日本国」の領土に他ならない。つまり「日本国」の法律の支配が及ぶ範囲である。

オリパラを開催するということは、ホスト国としては、自国民に対し、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、改正特措法)やその他関連法規により、感染蔓延状況に応じて厳しい行動制限を課すかたわら、開催期間中に世界各国から入国する選手や関係者に対しては、オリパラ独自のプレーブックで行動規制するという、二重の規範で、ダブルスタンダードの運用をするということだ。

オリパラ競技は大丈夫だけど、運動会は開けないとか、オリパラ選手村での勝利を祝しての一杯はよいが、仕事帰りに居酒屋でおつかれさまの一杯はダメだとか、自国民に対して、納得のいかないことを強いることになる。コロナ禍厳しい折、オリパラ開催を強行するのなら、それは一体なぜなのか?どんな意義があるのか?国家運営の責任者は、自国民に対してきっちりと説明しなければならない。

オリパラ開催に関しては、複数の船頭がいて、船がどこに向かっているのかがわかりにくい状況である。船頭たちは相互に牽制球を投げあったりしている。賠償責任はだれにあるとか、ちんけな話も出回っている。しかしオリパラ船を最終的に統轄しているのは「日本国」首相なのだ。ここが適切な指示を出さなかったり、ブレブレだったりしたら、コロナ禍の荒波で船は難破してしまう。

治外法権と見まごうオリパラバブルを主権国家である日本が適切に制御する、、、ここを私たちは見ている。国家のガバナンスを見ている。自国民をなめてはいけないのだ。

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オペレーション・コロナ(コロナ掃討作戦)の要諦は「医療提供体制の崩壊を防ぐ」ことにある。そのためのコロナ対応病床の増強や(労働集約的な面が強い)‘医療’サービスの提供者(医師、看護士、保健士etc.)の増員、‘医療’提供オペレーションの改善・効率化等は最重要のポイントだと思う。そしてこれを実行するには行政サイドの《政治力》が何よりも大事だ。

しかるに現実はどうなのか?
「じゅうぶんに時間はあったのに…どうして?…今ごろ?…」
そんな残念な感想しか浮かばない。

吉村大阪府知事は従来の新型インフルエンザ特措法を「ポンコツ」と称していた。知事の責任と権限の所在が不明確なこと、休業要請の際の補償の規定がないことなどを問題視していた。「知事が思うように権限を振るえないのは特措法のせいだ。」というわけだ。

しかし、今となっては行政の不手際や不作為を正当化する言い訳に聞こえてくる。

泉(兵庫県)明石市長が吠えた。

「医療崩壊、ベッドが足りない、医師が足りないなんて、全部嘘です。府知事には病院を潰せるくらい強力な権限があって、ベッド数を増やすくらい簡単なこと。なんでやらないんですかね、吉村知事は。私にその権限があったらすぐやってます。私が知事なら病床も逼迫なんかさせません。」

「日本の人口1000人あたりの病床数は世界一で、感染者数は欧米の1割。それでなぜ、問題が生じるのか。海外では公立病院が多いんですが、日本の医療は民間主導であるのに加えて、医師会が票を握っているから、政治家がものをよう言わんのですよ。」

「知事には医師会に指示できる権限が本当はあるんだから、『民間病院も病床を提供してください、看護師さんを◯名ずつ派遣してください』って言えばいいだけ。そうすれば、今の状況なんて一気に解決します。」

⇒まさに「御意(ぎょい)!!」

「ポイントは、医師会とのパワーバランスと信頼関係です。まず、医師会は選挙を左右するほど大きな利権団体。一方、無所属で市長になった私は医師会にすれば敵だったわけで、私は医師会にはまったく気を遣わなくていい立場なんです。

でも明石市では、18歳以下の医療費と認知症患者の診断費用を無料化したため、今では医師からとても感謝されています。そんな信頼関係があるから、私が本気を見せると、怖い顔をしたり脅したりする必要もなく、病院もすぐに協力してくれました。簡単なことなんです。」

⇒これまた、御意(ぎょい)!!!

政治力とは殊更に「怖い顔をしたり脅したり」することで発揮するものではない。逆に票田におもねるものでもない。一行政区の責任者として信念をもって市民のための医療制度改革をやって、患者と医者のWin-Winのモデルを上手に作った。このことが結果として、今この有事に活きてきているということだ。示唆に富む主張である。

出典:Yahoo!ニュース5月24日配信、週刊FLASH 6月1日号


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「日本の現行憲法下において、国民の‘私権’を制限することには限界がある。」と政治家やTVの識者は言っている。

本当だろうか?

政治家は頼んでもいないのに、自ら進んで自らをマインドコントロールしている。
日本では政治家は自国民には「お願い」しかできないのだと。

メディアはその主張を真に受けているのか?追従するコメントを垂れ流す。

また一方では、この機会に憲法を見直し、有事に対応できる「緊急事態条項」を設けるべし!という政治家もいる。一部メディアがこの主張を支持している。政界からテレビ業界に出戻った大阪維新の会ファウンダーの橋下弁護士も、私権制限が可能となる法律改正をさかんに言い立てている。

しかぁぁ~し!
ちょっと待ったヽ(`Д´#)ノ

昨夏、れいわ新選組の山本太郎代表は東京都知事選挙に出馬し、小池都知事に挑み、惜敗した。

このとき山本代表は、新型コロナ感染症の蔓延がもたらす事態を「災害」に指定することで、諸外国並みのロックダウンが可能になること、避難所や仮設住宅の提供、食料や飲料水の提供が可能になること、「災害救護資金」や「災害弔慰金」といった名目で、自国民に対する緊急・直接の財政支援までも可能になることを主張した。「災害対策基本法」「災害救助法」などの従来からの法律を、根拠法として活用できるのだと言う。

参照:山本太郎街宣動画

政治家はコロナ禍にあって、施策の実効性を高めるために、自国民に対し、強制力のある指示をどうしたら出せるのか?の知恵を絞るべきである。国家運営にあたる人間は、「何か根拠法はないか?」と配下の官僚に調べさせることも必要だ。

ところがまともに調べさせた形跡がないというのだから、不誠実極まりない。「だれも追究しないだろう」と国会を軽視している。つまりは、自国民をなめているということだ。

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政治家の本務は法律を作ること。

しかしながら政治家は自らをマインドコントロールしてしまい、何のために国会(=立法府)に送り出されたか?の根本を忘れてしまったようだ。(あるいはその裏返しで、一足飛びの憲法改正論議にすり替える論理的詐術を弄している。)

唄を忘れたカナリヤは 後ろの山に捨てましょか
背戸の小藪に埋けましょか
柳の鞭でぶちましょか ♬

今の政治家の物忘れ症状は「唄を忘れたカナリヤ」どころの騒ぎではないが、「忘れた唄」を何とか思い出してほしいと切に願っている。

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その一方で、思わぬところからの問題提起もあった。
日時が前後するが、そのことにも触れておこう。

3月12日、さしたる国会審議もないままに、与野党共同提出の「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」が成立した。従来法の不備を補い、新型コロナウイルス感染症にかかわる対策を推進するための改正法らしい。具体的には、自治体首長が、緊急事態宣言等が発出された際に、営業時間短縮や休業の要請に応じない事業者に命令を出すこと、過料を科すこと、あるいは入院に応じない感染者や病院から逃げ出した感染者に過料を科すこと等々、各種の措置を規定する内容になっている。

東京都はさっそく、改正特措法に基づき、緊急事態宣言下の飲食店に対して営業時間短縮命令を出した。

これに噛みついたのが飲食事業会社、グローバルダイニングである。同社は東京を中心に「権八」「ラ・ボエーム」「モンスーンカフェ」などの深夜も営業するレストランを展開している。

東京都から同社への命令書には「緊急事態措置に応じない旨を(SNS等で)社会に発信した。同業飲食店の20時以降営業を誘発するおそれがある。」主旨の指摘があったという。(時短せず)営業する理由を堂々と表明した同社が狙い撃ちされた形である。

今回の時短命令は運用が恣意的で、「営業の自由」はもとより、「法の下の平等」や「表現の自由」を定めた憲法に違反するものではないのか?民主主義社会・日本において看過できない。同社の長谷川社長はそう思い至って、たまたま縁のあった弁護士グループの助けを借りて、東京都を提訴する運びとなった。

弁護団によると、今回の取り組みは「時短命令」の違憲性・違法性を司法の場で問うことを媒介として、コロナ禍での「空気」の支配や、薄弱な法的根拠によって政治決定がなされていく社会そのものへの問題提起という意味合いもあるらしい。行政サイドの「空気」の支配によって、しわ寄せを受けている人たちの声なき声を集約できるプラットフォームを志向するそうだ。訴額は1店舗1円×要請26店舗×4営業日=104円、裁判費用はクラウドファンディングによって調達するという。

参照:グローバルダイニング会見

政治家は「空気」を恐れ、腰の引けた答弁ばかり。
テレビでそれを見た私も、その「空気」を吸い込んで、心肺はにごり・淀んだ感じになる。

納得がいかないことは、納得がいかないと堂々と主張する長谷川社長の会見に接し、カタルシスというのだろうか?私は自分の心肺の「空気」が浄化されていく気持ちである。

国会の形骸化・有名無実化は極まり、政治家には何の期待も持てない中で、このような取り組みが生まれている。訴訟の行方は今後も注目していきたい。

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G7サミットに先立ち、6月10日、アメリカのバイデン大統領とイギリスのジョンソン首相は、新大西洋憲章(New Atlantic Charter)を発表した。民主主義の価値観と領土保全のコミットメントであった1941年の大西洋憲章をアップデートしたのだという。サイバー攻撃も想定した集団安全保障に対する相互の責務、すべての国際行動において気候変動を考慮することなど、今日的課題も条文に盛り込まれた。

パックスブリタニカ、パックスアメリカーナと、民主主義国家群を牽引してきた両国が、ポストコロナの世界に向けて民主主義国家の価値観と連帯を再確認するアドバルーンである。

アメリカもイギリスも、新型コロナ・パンデミックにより激しく自国民が亡くなった。それでもワクチンを猛スピードで開発・承認し、さっさと接種プランを作り、国民の多数が接種を終えて、さあ、普通の生活を取り戻すぞ!というステージになっている。

アメリカにいたっては、ワクチン5億回分を、発展途上国等100カ国に提供するとぶち上げている。
しかも「ひも付きでない、何らかの見返りや譲歩を求めるものではない。」(バイデン大統領)

ポストコロナ世界を展望する、未来志向の話なのである。

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「言いたいことを言う」
「食べたいものを食べる」
「住みたい場所に住む」
「会いたい人に会う」etc.

「自分の意志で、自由に自分の行動を決められる」民主主義の価値観は実にすばらしいものである。

しかし一方で、民主主義を制度として担保する「議会制民主主義」は‘こわれもの’(fragile)だ。

民主選挙で当選した議員が、国民の負託により国会に送り出されているという自覚をなくし、選挙公約を反故にしたり、特定のお友だちの利益のためだけに動いたり、選挙を経ずに分党して、政党助成金を掠め取ったりetc. 

最近は与野党が握って、ロクな審議もせず法律を通す。その法律が時の内閣や自治体首長によって恣意的に運用される。結果として一部の国民がとばっちり被害を受ける。コロナ禍で「空気」による統治がより露骨になってきた印象である。

国民は権利行使の主体者としての自覚をもって、国会に送り出した議員を監視し、法律を作ろうとしない議員、(命令の根拠となる)法律を調べようともしない議員、法律の拙い運用を放置する議員etc.だめな議員はだめだと、選挙で落選させなければならない。

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残念なことだが、コロナ・パンデミックは民主主義国家・日本の実力の程度(低度)を私たちに教えてくれることになった。本会議でもかつて評価した政治家が「おやっ」と思うような行動をとったりする。

コロナとの戦いは何よりも医療提供体制の崩壊を防ぐこと、そのためのヒト・モノ・カネを医療の最前線に投入し、感染爆発期のディフェンスラインを分厚くすることが大事なのに、それを怠っている。一方で、外出自粛や休業要請などいたずらに自国民に我慢を強いる。民度の高い国民も、最初のうちは要請に従っていたが、これに従うことがばかばかしいと思うようになる。

私は陰謀論者ではないが、「新型コロナウイルスは敵性国家が繰り出した生物兵器だ」という可能性も排除せずにオペレーション・コロナを検討すべきではないかと思っている。なぜか?

‘医療’は人間の再生産に直接かかわる。そして戦争を担うのは人間である。

つまり(広義の)戦場(=日常の経済生活)で戦線離脱する人間が出ること(=コロナ感染で隔離・療養状態になって生産活動から離脱すること)で、前線から後方支援部隊にいたるまで、兵站線(Logistics)が傷んで、戦争遂行能力が低下していく。戦時物資の供給体制が棄損する。「マスク」ひとつ、「ワクチン」ひとつで大騒ぎしているくらいだ。兵力(=人間)を含めて、ありとあらゆる物資を戦争遂行目的で投入する国家体制の編制が必須となる【戦争】を果たして日本はできるのだろうか?


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防疫安保論(前篇)-ばいきんまん会議④ [統治論]

年が明けても新型コロナウイルスの感染拡大の勢いは止まらず、首都圏(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県)では、コロナ対応病床の稼働率が一気に危険な水準となった。医療崩壊が現実味を帯びる事態である。

緊急事態宣言の発出に慎重な姿勢を見せていた菅首相も、ようやく方針転換。東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県を対象地域として、1月8日~2月7日の期間、二度目の緊急事態宣言を発出した。そして、さらなる地域の感染拡大状況に対して、1月14日~2月7日を期間として、新たに大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・岐阜県・福岡県・栃木県にも同宣言を発出した。

1月30日現在、東京都などは緊急事態宣言から3週間が経ち、宣言による感染拡大抑制の効果を検証する時期に差しかかっている。

今回の二度目となる宣言においては、政府分科会での検討を踏まえ、特に感染する機会となることが多い「飲食につながる人の流れ」を制限するよう、国民の外出自粛協力のお願い、テレワークの推進要請に加え、飲食店の夜8時までの営業時間短縮の要請を行ったことが特徴である。

「人との接触機会の7割・8割削減」という前回のメッセージから、(国民の行動変容に対して一歩踏み込んで)より個別具体的なメッセージになったのだが、なぜだか「飲食店懲罰宣言」のような袋小路に入ったメッセージに聞こえてしまっている。(主意は決してそうではないのだろうが…)テレビ報道に接して受けた印象の話である。

テレビの識者やコメンテーター、SNS発信者からは菅内閣の後手後手の対応に対する批判が噴出し、ペーパー棒読みや言い間違いの答弁など、首相当人の資質や能力にまで非難が及んでしまっている。週刊誌は政局を騒ぎ立てはじめ、与党大物政治家はこの状況に不快感を表明している。

一方、今回の新型コロナ感染蔓延に政治が対応するため「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(いわゆる新型コロナ特措法)「感染症法」など関連法規の改正が、ようやく国会審議の段階に入った。政府・与党が準備した新型コロナ特措法案には、「夜8時過ぎに営業を続ける飲食店に50万円以下の過料を科す」規定が盛り込まれていたが、このタイミングで与党政治家の夜の会食の事実が次々と明るみとなった。過料規定は野党との協議で「30万円以下の過料」に修正された。

テレビでは参議院予算委員会で蓮舫議員が、夜の会食問題を取り上げ、「われわれ国会議員はSNS上で上級国民と言われ、えらい迷惑ですよ」と首相を非難していた。(相変わらずコワい、惻隠の情というものが微塵もないね)

私としては「政治家は結果責任がすべて」ということで、3.11震災時の投稿を再掲することにします。

(以下)
内閣は平時には法に則って粛々と国家運営にあたればよい。しかし今回のような大震災という国難に遭遇した場合、平時のスタイルの国家運営では対応しきれないことがたくさん出てくる。大地震と大津波は不測の事態を連鎖して生み出した。どれもこれも一刻を争う事態である。下手な手を打てば国家の存亡にかかわる。衆議院、参議院と通常のプロセスを踏んで法案を通していたのでは間に合わない。何が日本国にとっての最大利益かを国家運営にあたる政治家が考えて、すばやく決断を下すのだ。国家運営者の権能で政令を繰り出すのだ。またトップダウンの意志決定が迅速になされ、それが現場の災害対応にスムーズに流れてゆくよう災害対策の本部組織を可及的速やかに立ち上げるのだ。また地方自治体、自衛隊、消防署、警察、ボランティア組織から後方の病院やライフラインにかかわる民間会社にいたるまで、組織横断的な組織として急速編制し、それぞれを連携させて一元的に命令を送れる体制を構築しなければならない。

ここで踏ん張って自らを国家統治者として鍛えなおすことができれば、支持率低下にあえぐ菅・民主党政権も「政治主導」復活で、支持率をV時回復させることが出来るかもしれないぞ。

「政治主導」復活のために-今こそ必要な政治の力②

当時は大震災・大津波という“有事”、現在はコロナ感染爆発という“有事”で、“有事”ということでは共通する状況である。当時は菅(かん)民主党政権であったが、これを菅(すが)自民党政権と読み替えてもらえば、現在も私の言いたいことは全く変わらない。

ここで踏ん張って自らを国家統治者として鍛えなおすことができれば、支持率低下にあえぐ菅・自民党政権も「政治主導」復活で、支持率をV時回復させることが出来るかもしれないぞ。

コロナ禍に対峙する中で、「国民のために働く」偉大な政治家(statesman)として自らを鍛えるまたとない機会なのである。





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彼は私のトモダチである-日本国首相に今やってほしい2つのこと② [統治論]

安倍首相は日本時間12月28日、オバマ大統領と共に米国ハワイの真珠湾を訪れ、第二次世界大戦下の旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊した。

安倍首相は慰霊後の演説で、米国国民たちがかつての敵である日本国国民に対して、戦後大いなる「寛容の心」(the spirit of tolerance)をもって接してくれたことの意義を説いた。

日本国国民が焼け野原の中で何とか生き延びることができたのは、アメリカの人たちが日本の人たちにミルクとセーターを送ってくれたおかげである。また日本国が国際社会に復帰する道を開いてくれた上に、平和と繁栄を享受できるようにしてくれた、これはアメリカのリーダーシップによるものだ。

あの「パールハーバー」から75年。激しい戦争をしたアメリカと日本は歴史的にも稀な深くて強い絆で結ばれた同盟国になった。この同盟は未来を拓く「希望の同盟」(alliance of hope)である。日米両国を結び付けたものは「寛容の心」からもたらされる「和解の力」(the power of reconciliation)である。

安倍首相はこう、「美しく」戦後の日米関係を総括した。

この式典は「核なき世界」を提唱するオバマ米国大統領にとっても、「戦後レジームからの脱却」を提唱する安倍日本国首相にとっても、政治外交上の「レガシー」(遺産)としての意味付けができる。

オバマ大統領にとっては自分の花道に相応しい式典だろう。

安倍首相にとっては日米同盟が深化をとげ、「希望の同盟」となったのはある意味
「戦後レジームからの脱却」なのだと強弁できる。


し、しか~し、ちょっと待った ヾ(・ω・`ヾ))) マッテェェェェェ・・・


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アメリカでは、東日本大震災で「トモダチ作戦」に従事した兵士たちの中で、健康を害し、死んでしまったり、職を離れざるをえなくなった人たちが出てきているようだ。

震災当時、「トモダチ作戦」で福島原発の沖合に駆けつけてけていた空母「ロナルドレーガン」が放射線被曝し、乗組員兵士たちに甲状腺がん、下血など深刻な健康被害が出ているというのだ。

「ロナルドレーガン」の乗組員8名は2012年12月、原発事故の状況に関して適切な情報の開示がないまま、放射線被曝の被害に遭ったとして、東京電力に総額1億1000万ドルの損害賠償を求める訴訟を米国連邦地裁に起こした。その後原告に加わる元兵士は増えて2016年5月には400名を超えたという。

この事実は日本国では知られていない。

話を伝え聞いた小泉元首相が米国カリフォルニアのサンディエゴまで出向き、被害者の元兵士たちの話を直接に聞き、「これだけ日本のために救援活動に全力を尽くしている兵士の皆さまが、重い病気で苦しんでいる、またこれからの生活を思い悩んでいるのを聞いて、ただ聞いただけで済ますわけにはいかないだろう、この状況を見過ごすわけにはいかないと考えました。ぜひ日本の国民やアメリカの国民に知ってもらわないといけないということを痛感しました。」となり、記者会見の模様のダイジェストが日本の報道ニュースで流れた。

記者会見→ https://www.youtube.com/watch?v=dtaOuV4B2qQ 
(2016年5月17日、カリフォルニア)


これは現在進行中の問題である。


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一方「トモダチ作戦」(Operation Tomodachi)は日米安全保障条約の大きな法的枠組みの中で、東日本大震災という「有事」にアメリカの軍隊と日本の自衛隊が相互に連携して、災害対応活動を展開した“広義の”軍事作戦という性格をもっている。

ロナルドレーガンは米韓合同の軍事演習のため西太平洋を航行中のところ、緊急に立ち上がった米国海軍・空軍・海兵隊混成の統合支援部隊(Joint Support Force)の司令部から命令を受けて、急遽日本国の東北沖に向かったのだ。そしてロナルドレーガンの乗組員をはじめとしたアメリカ軍兵士が「トモダチ作戦」のさまざまな実務を担うことになったのだ。

この一連の活動には、当然に日本国側の要請があるはずだし、アメリカ側も日米同盟の具体的な展開として執り行っているはずだ。

しかれば、日本国首相はこう言うべきだろう。

曰く、「トモダチ作戦での貴国の若い兵士たちの献身的なご支援には心から感謝しております。ご恩は一生忘れません。ところで貴国の兵士の中で、任務遂行中に放射線被曝して健康を損なっている方々がいらっしゃることを聞きました。わが国では原発事故による放射線被曝の健康被害を専門に研究するプロジェクトチームを立ち上げますから、ぜひご相談ください。因果関係が立証される被害につきましては、その治療、生活の補償に関しましてできうる限りのことをさせていただく用意があります。」

他方、わが国の原子力発電は「国策」として推進されてきたことは否定できない。その意味でも「トモダチ作戦」の被曝アメリカ兵が起こしている集団訴訟に対しては「国家」として向き合うべきである。

住民への補償や除染で経営体力を落としている一企業体-東京電力-を被告人席に座らせて良いのか?(わが国エネルギーインフラを担う重要な企業である)今後の「国策」として一体どうなのか?

よく考えた方がいい。「希望の同盟」(alliance of hope)のためにもね。


※「トモダチ作戦」についてはwikipedia.を参照しました。



地位協定をどうするか?-日本国首相に今やってほしい2つのこと① [統治論]

またもやご無沙汰しました。

気がつけば伊勢志摩サミット開催、またオバマ大統領も広島で演説するらしいので、私も
今、言っておきたいことを急いで発信することにする。

沖縄ではアメリカ軍軍属が日本人女性に性的暴行をした上、殺害して遺棄するという痛ま
しい事件が起き、あらためて沖縄米軍基地のあり方や日米地位協定の不平等性が大きな
問題となっている。

サミットに先立ち5月25日夜、オバマ大統領と安倍首相の日米首脳会談の機会がもたれた。
安倍首相は今回の沖縄の事件に関して「断固として抗議」し、オバマ大統領は「心の底か
らのお悔やみの気持ちと、深い遺憾の意」を表明した。新聞には、オバマ大統領は通常
使われることのない最上級の哀悼の表現をしたとか外交語の修辞学解釈が載っていた。
(読売新聞)

だけど、言葉の上ではなんとでも言えるさ、新聞上の解釈を読んで私たち日本国住民も
「ふむふむ」とか納得してる場合じゃないのだ。

もとより大事なのはそれぞれ国家運営の責任者として具体的に何を為すか!であって、
そこにこそフォーカスすべきである。

日本とアメリカは経済上また政治・軍事上でも重要なパートナーである。

しかし、そのことから日米の安全保障条約やそれに付随する国家間合意を絶対とみなし、
改定すべからざるものと、硬直して考える必要はないはずだ。

時代の状況に応じて、関係性が変わってくれば条約の見直しにも言及していいはずだ。

沖縄では時々米国軍関係者による犯罪が起きるが、アメリカ側が容疑者の身柄を拘束し
てしまうと、思うような捜査ができないことがある。

沖縄県民からすれば、アメリカ側は毎度綱紀粛正を言うが、変わらないじゃないか?
別に基地に足を踏み入れたわけでもないのにおかしい!ということになる。

「私は、在日米軍兵や軍属が日本国内で犯した犯罪を、日本国内の法律に則って日本国
で裁くことが主権を持った法治国家としてのわが国のあるべき姿だと思う。安全保障
条約下においても、その原則は守られるべきだと思う。今回の事件をよい機会として、
日米地位協定をゼロベースで見直しませんか?これは日本国民の生命に責任を負う私の
使命なのです。」

こういうことは言ってほしい。

しかしながら、現実はどうか?

今回の日米首脳会談では、安倍首相は沖縄県の翁長知事が求める日米地位協定の改定に
は言及せず、地位協定の「運用の改善を具体化し、あるべき姿を不断に追求していく」
と、アメリカと妙に歩調の合ってしまう発言をしていた。

一体どちらに向いているのか?



ニューワールドオーダー-プーチンの国連演説 [統治論]

皆さん、お元気でしょうか?
今回は新春特別企画として、ロシアの指導者、プーチンの第70回国連総会(2015年9月)での演説をお届けします。

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覇権国家アメリカの政治的・経済的また軍事的なプレゼンスが弱まっている昨今、各国の国家利害の衝突や民族や宗派の対立はよりむき出しな形をとって表われるようになった。

「民主的か独裁か?」「親米か反米か?」・・・そんな単純二元論では答えを出せない世界である。

プーチン大統領は国連演説で、そんな21世紀の世界に対する、自身の‘現実的’かつ‘優れた’所信を表明した。

(以下演説)

尊敬する代表の皆さん!尊敬する国連事務総長殿!尊敬する各国首脳の皆さん!紳士の皆さん!
国際連合の70周年は、歴史と我ら全員の将来を考えるのによい機会です。

1945年、ナチズムを打倒した諸国は、戦後世界の秩序を築くべく努力を結集しました。
思い起こしたいのは、国家間関係の原則に関する重要な決断と、国際連合の創設に関する決断は、我が国のヤルタにおける反ヒトラー連合の首脳会談で採択されたということです。ヤルタ体制は、この星で20世紀に起こった二度の世界大戦に出征した何千万という人々の生命に実際に敬意を払ったものであり、過去70年間の過酷で劇的な出来事の中で客観的に人間性を保つ助けとなり、世界を巨大な波乱から救ったのです。

国際連合は、その正当性、代表性及び広範さにおいて比類なきものであります。たしかに過去、国連の場においては少なからぬ批判がありました。これは効率性の不十分さを示すものであり、特に国連安保理のメンバー国間では重要な決定に関して覆いがたい対立があります。

しかし、申し上げたいのは、国際連合が存続してきた70年間において、意見の相違は常に存在していたということです。そして拒否権も常に行使されてきました。米国も、英国も、フランスも、中国も、ソ連邦も、そして後のロシアもこれを行使してきました。これは多面的な代表機関ではごく自然なことです。国際連合の基本として、そこでひとつの意見が圧倒的であるということは想定されていなかったし、今後もないのです。この組織の本質とは、妥協を模索し、生み出すことなのであり、多様な意見や観点を考慮に入れることがその力になっているのです。

国際連合の決定を巡る議論は、決議という形で合意されます。合意に至らない場合については、外交官達の言うところの「うまくいったりいかなかったり」ということになります。そして、この手順を外れれば、いかなる国の行動であっても、それは非合法で、国際連合憲章と現代の国際法に違反することになります。

いわゆる冷戦が終結した後、世界にはひとつの支配的なセンターが残ったことを我々は知っています。そして、このピラミッドの頂点に立った者は、次のように考える誘惑に駆られました。いわく、彼らはかくも強く、特別で、物事をどうすればよいか誰よりもよく知っているのだと。そして彼らには国際連合を顧みる必要などなく、国際連合は彼らの決断に判子をついて追認すればいいのだと。この組織はすでに古くなり、歴史的な使命を終えたのだという話も出ました。

たしかに世界は変化しており、国際連合はその自然な変容に合わせなければなりません。ロシアには、広範な合意に基づき、国際連合のさらなる発展に関する作業に全てのパートナーとともに関与する用意があります。しかし、我々は、国際連合の権威と正統性を損なう試みは極めて危険なものだと考えます。それは、全ての国際関係の枠組みの崩壊につながりかねないものです。そうなれば我々には力のルール以外、いかなるルールも残らないでしょう。

それは、協調がエゴイズムに、平等と自由が支配に、真の独立国家が外から指図される保護領に取って代わられる世界となるでしょう。

では、すでに同僚の皆さん達がここで語った国家主権とはどのようなものでしょうか?これは何よりも自由の問題であり、各人、各民族、各国家が自らの運命を自由に決せるということであります。

そこで、尊敬する同僚の皆さん、いわゆる正統な政府というものについても語りたいと思います。言葉を弄んではなりません。国際法及び国際関係においては、それぞれの用語は明確かつ透明でなければならず、共通の意味を持ち、共通の基準で定義されなければなりません。我々はみんな違っているのであり、そのことについて敬意をもって臨まねばなりません。何人も、誰かが正解だと決めた単一の発展モデルに従わされる必要はないのです。

我々は過去の経験を忘れてはなりません。たとえば我々はソ連邦の経験を援用することができます。ソ連は社会実験を輸出し、イデオロギー的な理由から他国の社会変革を推進しましたが、その結果は時として進歩ではなく混乱でした。

しかしながら、誰もがそのような誤りに学ぶわけではなく、それを繰り返す者もいます。そしていわゆる「民主的な」革命の輸出を続けています。

これ以前の登壇者の方が触れた、中東及び北アフリカの状況を見れば充分でしょう。たしかにこれらの地域おける社会経済的状況は長らく混乱しており、人々はそれを変革したがっています。ですが、実際の結果はどうでしょうか? 改革をもたらす代わりに、攻撃的な介入が国家機関と現地の人々の生活を破壊しているではありませんか。民主主義と進歩の代わりに、今そこにあるのは暴力、貧困、社会不安、そしてただ生きる権利を含めた人権の全くの無視ではありませんか。

そこで、このような状況を作り出した人々に私は問いたい。あなた方がやったことを少なくとも理解くらいはしているのだろうか、と。しかし、私が恐れるのは、傲慢と、例外主義と、罪悪感のなさゆえに彼らがその政策を撤回せず、答えがないままこの問いが虚しく空中に消えることです。

今日、われわれはイラク、シリア、そしてテロリスト集団との戦いを行っている他の域内諸国に対して軍事技術上の支援を行っています。テロリズムと面と向かって戦うシリア政府及びシリア政府軍との協力を拒むのは、とてつもない誤りだと我々は考えています。結局、アサド大統領の政府軍とクルド人の反政府部隊以外、シリアでは誰も「イスラム国」とは戦っていないのだということを知るべきです。我々はこの地域にありとあらゆる問題が溢れ、ありとあらゆる矛盾があることを知っています。しかし、現実から出発するよりないのです。

尊敬する同僚のみなさん!我が国のこうした誠実かつ率直なアプローチが、最近、ロシアが野心を募らせているのだという非難の材料にされていることを指摘せねばなりません。そう言う人々にはまるで野心など少しもないかのようです。しかし、同僚のみなさん、核心はロシアの野心などにあるのではなく、現在の世界情勢はもはや耐え難いものになってきているという点にあるのです。

実際に我々が提案したいのは、野心ではなく国際法に基づいた共通の価値や共通の利益によって統治を行い、今、目の前に立ちはだかる新たな問題を解決するために努力を結集して、真に広範な国際反テロリスト連合を設立することです。反ヒトラー連合がそうだったように、反テロリスト連合は大きく立場の異なる勢力を結集し、人類に害悪と憎悪をばらまくナチスのごとき連中と決然と対抗することを可能とするでしょう。

そしてもちろん、このような連合の中でも特に重要な参加国は、ムスリム諸国でなければなりません。というのも、「イスラム国」はこれら諸国に対する直接的な脅威であるばかりか、世界で最も偉大な宗教のひとつであるイスラム教の名誉を汚しているからです。「イスラム国」のイデオローグたちはイスラムの真似事をやっているのであり、その真の人間的な価値を損なっているのです。

ムスリムの精神的指導者のみなさんに申し上げたい。あなた方の権威と、あなた方の導きとが、今、とても重要なのです。過激主義者の勧誘の対象になっている人が軽率な決断をしないようにせねばなりません。様々な理由からそうした決断をすでに下してしまった人、すでにテロ組織に参加してしまった人には、通常の生活に戻り、武器を置き、兄弟殺しの戦争をやめるように救いの手を差し伸べてあげなければなりません。

ロシアは近く、中東地域における脅威の複合的な分析に関する大臣級会議を、安保理の議長国として招集します。ここではまずもって、「イスラム国」やその他のテロリスト集団と戦う全ての勢力の活動を調整することについての決議に合意できるかどうかを話し合うよう提案するつもりです。繰り返しますが、このような調整は国連憲章の原則に則らなければなりません。

国際社会は、中東の政治的安定と社会経済的な復興のための総合的な戦略を策定することができると我々は考えています。尊敬する友人の皆さん、そうなればもう難民キャンプを作る必要はなくなります。今日、故国を離れねばならない人々の数はまず隣国で、続いて欧州で膨れ上がっています。その数は数十万になっており、今後は100万の単位になるかもしれせん。つまり、これは新たな悲劇的な難民の波であり、欧州を含む我々全てにとっての重い教訓であります。

リビアの国家機構を再建し、イラクの新政府を援助し、シリアの正統な政府に全面的な支援を行うことは極めて重要であると考えます。

以下の点を強調しておきたいと思います。難民の人々には同情と支援が絶対に必要とされています。しかしながら、この問題の解決は、破壊された政府を回復し、まだ残っている、ないし回復されつつある機構を強化し、困難な状態にある国及び万策尽きて故国を去らねばならなくなった人々に、軍事的、経済的、物質的な全面的援助を提供することによってしか成し遂げられません。もちろん、主権国家に対するいかなる援助も強制されたものではなく、国連憲章のみに依拠してこそ可能なのであり、そうでなければなりません。国際法の規範に従ってこの分野で行われ、あるいは行われるであろう全てのことは、国際連合の支援を得ねばならず、国連憲章に違反する全てのことは拒絶されるべきです。

尊敬する同僚の皆さん、国連の下における国際社会の枢要な課題は、平和並びに地域的及びグローバルな安定を維持することです。

我々の見方によれば、これは平等かつ一体的な安全保障の空間をつくりあげるということです。この安全保障は全ての人々のためのものであって、選ばれた人のものであってはなりません。たしかに労多く、困難な作業ですが、これに代わるものはないのです。

しかしながら、冷戦時代のブロック思考と、新たな地政学的空間を利用しようという思考に完全に支配されている同僚諸君が、残念ながら若干存在します。まず、NATOの拡大路線が続いています。問いたいのですが、ワルシャワ・ブロックが存在しなくなり、ソ連邦が解体したにも関わらず、これは一体何のためなのでしょうか? しかもNATOは単に存続しているだけでなく、その軍事的インフラとともに拡大しているのです。

そして旧ソ連諸国には、西側に加わるか、東側に残るかという偽りの選択が突きつけられています。このような対立の論理は、遅かれ早かれ、深刻な地政学的危機に至らざるを得ません。これはまさにウクライナで起こったことです。国民の圧倒的多数が政府に対して抱く不満を外国が利用してクーデターを起こしたのです。その結果は内戦でした。

この流血を止め、八方ふさがりの状況を抜け出す為には、今年2月12日のミンスク協定を誠実かつ完全に履行するほかないと我々は確信しています。軍事力の脅しによってはウクライナの一体性を保つことはできません。行動しかないのです。ドンバスの人々の利益と権利を真に考慮し、彼らの選択を尊重し、ミンスク協定において重要な国家の政治的要素として規定されている通り、それに同意しなければなりません。このようなステップを踏むことで、ウクライナは文明国家として、そしてヨーロッパとユーラシアにおける総合的な安全保障空間を創設する上での最重要の結節点として発展することになりましょう。 (以上)

演説翻訳転載元:
「アラブの春」を恐れるロシア-国連総会でプーチンは何を語ったか(前編) 
名誉挽回にもがくロシア -国連総会でプーチンは何を語ったか(後編) WEDGE Infinity

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演説は冒頭、国際連合が20世紀の二つの世界大戦を経て、何千万人の生命の犠牲によって贖われた歴史の産物であることを振り返った上で、「過去70年間の過酷で劇的な出来事の中で客観的に人間性を保つ助けとなり、世界を巨大な波乱から救ったのです。」・・・このように国連の大いなる意義を総括する。

そこから、国家間関係に深刻な対立が生じたり、テロリスト集団が各国の平和と安定に対する脅威として立ち現れた場合、あくまでも国際法に則り、国連を通じた合意形成を旨として、事にあたるべきとの論を展開する。

主権国家に対する外からの支援は、国連憲章に依拠し、国際法に則ったものでなければならないという原則が繰り返し語られる。

たとえその仕組みが不完全で、現状において多くの欠陥があるにしても、国連の枠組みで問題の解決を図るのだ、という強い意志が伝わる。

至極真っ当な‘国連統治論’である。

また覇権国家アメリカが国連を軽視し、国連決議によらないで、勝手に<「民主的な」革命の輸出>を行うことによって、かえって輸出先の地域に暴力と貧困、社会不安と人権の蹂躙をもたらしている現実をずばり批判している。

さらに演説は、ロシアが取り組んでいるシリアやウクライナ等の問題におよぶが、自国はどういう立場にあるのか、見事な論陣を張っている。

今年は国際社会において、ロシアのプレゼンスがさらに強まると思っている。


本当に怖いのか?TPP ー2014年新春特別企画 [統治論]

皆様お元気でいらっしゃいますか?

昨年度は本会議のブログアップがひとつもないまま終ってしまった。
大丈夫なのか?と思われた方、すみません、こちらはなんとかやっています。

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さて、今年の私の関心事、国内問題としては「徳州会」、国際問題としては「TPP」がある。

TPPは国家主権にかかわる問題を孕んでいる。日本復興会議としても看過できない問題だということで、今回は新春特別企画(!?)としてTPPについてふれてみたいと思う。(徳州会の問題は別の機会ということで願います)

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アメリカの独立系放送局が、市民団体がリークしたTPP交渉の内実について取り上げている。
デモクラシーナウ!2012年6月24日放送分

レポートしているロリ・ウォラックは「パブリック・シチズン」の国際貿易調査部門の人で、この「パブリック・シチズン」はタフネゴシエイターとして知られる消費者運動家、ラルフ・ネーダーが設立したアメリカの市民団体である。

密室交渉で過激になり、大企業の“権利章典”と化したTPP草案をリークし、分析して、何が起こっているのか!を白日の下に晒してくれた。「パブリック・シチズン」の意義ある活動には大いに感謝いたします。

わが日本国では山田正彦議員が中心となって、「TPPを慎重に考える会」という超党派の議員連盟が発足。民主党・菅内閣→野田内閣と何故かわからないが、TPP交渉参加に前のめりな姿勢が出てくる中、議員の勉強会は盛況となり、またマスコミへの啓蒙活動が同時に進められて、報道も増えることになり、日本国民の間でもTPPの問題点がにわかに認識されるようになった。

このへんの事情はこちらが詳しい。↓
山田正彦著『TPP秘密交渉の正体』 (竹書房新書)


次に民主党・野田内閣がやぶれかぶれの衆議院解散を行って、自民党が政権奪回することになるが、自民党・安倍内閣は、やはり何故だかわからないが、前のめり姿勢を引き継いで、TPP交渉参加を表明してしまった。

国会審議もそこそこに、政権交代の影響も感じられないまま既定路線のように進んだTPP交渉参加。

今は甘利TPP担当大臣の元、120名にのぼる官僚が交渉団として組織され、26分野の作業部会で交渉を行っている状況である。


パブリックシチズンの告発でも問題が指摘されているのが、国家と投資家の仲裁に関する条項(=ISD条項)。
これは投資受入国の法規制や行政指導が原因で進出企業が損害を蒙れば、国際法廷で受入国を訴えて、損害賠償の請求ができるように定めた条項だ。ビデオではいささか過激にこの条項のインチキ性が語られている。

調べてみると、ISD条項というのは1960年代頃から投資協定の条項として盛り込まれることが多くなっているようだ。
外国に進出する企業から見ると、進出先の国家の法制度の変更や運用の仕方で事業運営が左右される危険性があると、進出に二の足を踏むことになる。協定の締結国間でそのような投資リスクを減らすことを目的としたというのがそもそもだろう。

ここに外務省、経済産業省の連名でISD条項を解説した資料がある。巷間喧伝される危険な取り決めなのか?分析してみよう。→国家と投資家の間の紛争解決(ISDS)手続の概要

ポイントを整理しよう。

 ■受入国の司法手続きと別立ての国際仲裁手続きを設けている根拠は?

・投資家にとっては投資受入国の裁判所が公平な判断をするか?中立性に対して不安があること

・国際仲裁を設ければ、中立的な場で判断が受けられるため、投資家およびその本国にとって、投資活動を実効的に保護する手段を確保できること

・投資家の投資が確実に保護されるという期待を高めることにより、外国からの投資が促され、投資受入国にとっても経済発展につながること

・投資家と投資受入国との間で投資紛争を直接処理する手段を更に用意することで、紛争が外交問題化するのを避けることができること                           (以上、2頁要約)

→経済連携協定を締結するそもそもの目的を考えると、合理的な根拠があると言える。(ワタクシ)


 ■国際仲裁手続きにはどのようなものがあるか?

・投資紛争解決国際センター(ICSID):
世界銀行イニシアチブで1965年設立された世界銀行傘下の仲裁機関。仲裁地はアメリカ・ワシントンDC。事務局は行程管理等の手続的な側面支援を行うのみで、仲裁判断には加わらない。

・国際商事会議所(ICC)、ストックホルム商業会議所仲裁協会(SCC):
仲裁地は指定されておらず、当事者の合意に基づき決定される。合意がない場合には、仲裁機関が決定する。事務局は行程管理などの手続的な側面支援を行うのみで、仲裁判断には加わらない。

・国際連合国際商取引法委員会(UNCITRAL):
仲裁地は指定されておらず、当事者の合意に基づき決定される。合意がない場合には、仲裁裁判所が決定する。UNCITRAL自体はルール(仲裁手続規則)を提供する機関であり、国連は仲裁判断に影響を及ぼさず、行程管理などの手続的な側面支援も行わない。         (以上、3頁要約)

→TPP協定では上記の仲裁手続きを選択できるようだ。TPP関連の議論では“投資紛争解決国際センター”が世界銀行傘下ということから、投資家寄りの(あるいはもっと言えばアメリカ企業寄りの)仲裁機関として、偏った判断をくだす危険性が指摘される。これに対して本資料では、「(センターの)事務局は行程管理等の手続的な側面支援を行うのみであり、仲裁判断には加わらない。世銀による仲裁判断への影響は一切ない。」と敢えて注意書きを付け足している。アメリカ主導のTPP案でとりわけ問題視される「ISD条項」に関して、日本政府はアメリカと共同歩調をとるということを表明しているとみなせよう。     (以上、ワタクシ)


ISD条項の問題点は何か?あらためて整理する。

ひとつはビデオで指摘されているように、この条項が解釈・運用次第では、「外国籍企業が国庫を略奪するためのパワーツール」となってしまう恐れがあるということだ。

投資紛争解決国際センターを含め国際仲裁は通常3人の仲裁人によって審理し、裁定をくだす。また仲裁人は紛争当事者の投資家と投資受入国がそれぞれ1名を指定し、3人目は当事者間の合意により選定するという。ISD条項に則って国際仲裁が行われた場合、訴えを起こした企業側の代理人弁護士と被告となった国家の代理人で、1対1の判定となるのは必至である。

ということは、当事者間の合意で決まるとされる3人目の仲裁人がどのような性質の人なのかが判決の命運を握っている。しかしながら、「当事者間の合意」というのが、どういう決定の仕方なのかは、上記資料からはハッキリとわからないのである。

民主国家では、国家の住民の合議により、(問題はあるにせよ)一応は民主的な手続きを踏んで国内法が定められる。法律が制定されると、私たち国民はその法律に従う。違反した場合は国内の裁判所で裁きを受けて、処罰対象になる。国内企業も然りである。

ところが、外国籍企業には国内司法制度とは別立ての国際司法制度が用意される。国内法規を実質骨抜きにしうる場が、法治国家の外側に用意されるということだ。「当社のビジネスが貴国でうまくいかないのは貴国の差別的な法律のせいだ!」というイチャモンをつけて、国家に経済的な補償を要求する権利が外国籍企業に与えられるのだ。

しかも用意される国際仲裁の場は、仲裁人の素性がよくわからない上、仲裁人が民主的に選任される仕組みになっているという話は聞いたことがない。


ワタクシは言いたい。

TPPなど国家間の貿易・投資協定において、ISD条項が盛り込まれる主旨は理解できる。

しかしながら、国際仲裁の場は、その中立性が担保される仕組みが絶対に必要である。

わが国のような民主国家が協定にISD条項を盛り込むのであれば、民主的な手続きの規定を入れるべきである。具体的には、国際仲裁の仲裁人は国会での承認を得ることで選任されるようにすべきである。また仲裁の審理の内容は国民がいつでも知ることができるようにすべきである。国際仲裁機関に情報開示義務を負わせるのだ。そして、万一おかしな裁定が出た場合は、仲裁人を入れ替えて再審理できるような仕組みを作るべきである。

またグローバル企業の権利の濫用を防ぐ目的で、例えば協定締結国の間で一定の金銭を国際仲裁機関に供託して、損害賠償額の上限を決めてしまうのも手である。

TPP交渉にあたっては、「わが国は先進国だから大丈夫」とか「過去に訴えられたことはないから大丈夫」と軽く考えてもらっては困る。

ISD条項はグローバル企業が国庫金の収奪を可能にする悪魔のツール、これが本質である。

そして当然のことながら国庫金は私たち国家の住民の稼ぎを原資としている。
主権者国民として、また納税者(taxpayer)としても、交渉の行方はしっかりと見てゆきたい。

2012年3月、TPPに先行して米韓FTAが締結された。この時韓国ではISD条項などが“毒素条項”だとして大問題となったが、結局協定の発効にあたり、60もの国内法の改正を余儀なくされている。また同年11月にはアメリカの投資ファンド、ローンスターが韓国政府の恣意的で、差別的な措置で損害を蒙ったとして、ベルギー韓国投資協定に基づいてISD訴訟を起こしている。(韓国での営業はローンスターのベルギー法人であるため) →KBS報道 ローンスター、韓国政府相手取り投資訴訟へ
ローンスターは米韓FTAの同条項での提訴もあわせて検討しているともされる。
わが国は対岸の火事ではないのだ。

わが国のTPP交渉団は、守秘義務契約を交わして、ドラフト協議に入っているようだ。交渉団に選抜された個々の外務官僚、経済官僚がどんな見識を持ち、どんな仕事ぶりなのか?交渉担当にふさわしい資質を持っているのか?私たち国民は直接に知ることはできない。交渉がどのように進んでいるかも詳しくわからない。(秘密交渉だから当然である)しかし、国家社会のあり方を根本から変えてしまう危険性を孕んでいる「アメリカ案」が土台になっていることを十分に理解して、真の国民利益は何かを踏まえた交渉の成果を勝ち取ってもらいたい。

しかしこの仕事を官僚が担うというのも、ちょっと酷だな。国家公務員が負う責任としては重過ぎる。

わが国はTPP交渉の終盤戦から交渉参加するのだから、いざ参加してみて目にした草案がすでに修正不可能に固まっており、参加のメリットよりデメリットが大きいとわかった暁には、TPP不参加という決定を下さなければならない。

しかしその判断は官僚がする仕事ではないでしょう。

ここにわが日本国の統治体制として不安を感じてしまう一面がある。このことは本稿論旨からは外れるので、また別の機会にしよう。



 ■国際仲裁の利用状況はどうなっているか?

投資協定に関わって起きた国際仲裁は2010年末までに累計390件、うち投資紛争解決国際センターに付託されたものが245件とある。(約63%だ!)また年度推移を見ると、1990年代から急増しているのがわかる。                                       (以上、5頁参照)

北米自由貿易協定(NAFTA) における投資仲裁の件数データから、勝率を算定しよう。

提訴企業:アメリカ29戦7勝11敗3分、ノーコンテスト6、係争中2
       カナダ15戦0勝8敗、ノーコンテスト5、係争中2
       メキシコ1戦0勝0敗、係争中1

被提訴国:アメリカ15戦7勝0敗、ノーコンテスト5、係争中3
       カナダ15戦5勝2敗3分、ノーコンテスト3、係争中2
       メキシコ15戦7勝5敗、ノーコンテスト3

引分け=和解 ノーコンテスト=仲裁不成立、取下げなど (以上、8頁表から作成)


→アメリカ強っ!!!
訴訟大国アメリカには弁護士が100万人近くいるという。また閣僚やロビイストが弁護士であることも多いという。
いまや訴訟ビジネスは、金融工学ビジネスと並んで、アメリカ国家の戦略産業として君臨している。経済力が逓減しているアメリカが、国家戦略として、国家規模の訴訟ビジネスに乗り出したのだ。

「自由で公正な市場競争」

この“資本主義”のドグマを掲げて、超大国は各国の文化・慣行・社会制度を“非関税障壁”として攻撃する。各国固有の文化・慣行・社会制度は経済学上の「劣位」概念に還元される。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

最後にこの人の主張を聞いてもらいたい。

「罪を憎んで人を憎まず」を信条とする人情派警察署長、“寝ぼけ署長”こと五道三省の言葉である。

「法律の最も大きい欠点の一つは悪用を拒否する原則のないことだ、法律の知識の有る者は、知識のない者を好むままに操縦する、法治国だからどうのということをよく聞くが、人間がこういう言を口にするのは人情をふみにじる時にきまっている、悪用だ、然も法律は彼に味方せざるを得ない、・・・・・君はたぶんまた中学生のようなことを云うと思うだろう、結構だ、何とでも思いたまえ、然し中学生は自分の利益のために公憤を偽りはしないぜ」(山本周五郎『寝ぼけ署長』)

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「絆」あるいは蘇る「新しい公共」 [統治論]

言葉の軽さと脇の甘さから、ルーピー(≒くるくるパー)と形容され、国民からも馬鹿にされてしまった鳩山元首相だが、なかなかどうしていいことを言ったりもする。

「ここ十年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の‘絆’が、今やずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。

かつての『誰もが誰もを知っている』という地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで、次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体のあり方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、介護などのボランティア活動、環境保護運動、地域防災、そしてインターネットでのつながりなどを活用して、『誰かが誰かを知っている』という信頼の市民ネットワークを編みなおすことです。『あのおじいさんは、一見偏屈そうだけど、ボランティアになると笑顔が素敵なんだ』とか『あのブラジル人は、無口だけど、ホントはやさしくて子どもにサッカー教えるのも上手いんだよ』とかいった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい‘絆’をつくりたいと考えています。                          

幸い、現在、全国各地で、子育て、介護、教育、街づくりなど、自分たちに身近な問題をまずは自分たちの手で解決してみようという動きが、市民やNPOなどを中心に広がっています。子育ての不安を抱えて孤独になりがちな親たちを応援するために、地域で親子教室を開催し、本音で話せる‘居場所’を提供している方々もいらっしゃいます。また、こうした活動を通じて支えられた親たちの中には、逆に、支援する側として活動に参加し、自らの経験を活かした新たな‘出番’を見いだす方々もいらっしゃいます。

働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。

私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う‘新しい公共’の概念です。‘新しい公共’とは、人を支えるという役割を、‘官’と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。

国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、二十一世紀の政治の役割だと私は考えています。

新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが‘自立と共生’の理念を育み発展させてこそ、社会の‘絆’を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。

私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが‘居場所と出番’を見いだすことのできる『支え合って生きていく日本』を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。」

(第173回国会における内閣総理大臣所信表明演説より)


「あんたはお呼びじゃないよ」とか「早く引退しろよ!」とか野次が飛んでくるかもしれない。

しかしちょっと待ってもらいたい。

予断なく、この演説に触れてみると、なかなかどうして、格調高く、友愛の精神に満ちた理念が語られていることがわかる。しかも驚くことに今年を象徴する漢字‘絆’が用いられて、人間同士のつながっているという意識、そしてその意識に根ざした人間社会の再生が語られている。上っ面の技術論ではなく、民主国家のほんらいの政治主体であるべき国民自身の心のあり方について語っているのだ。この所信表明演説は、民主党が政権交代をなした後、初の民主党内閣の総理大臣としてのもので、2009年10月26日に行われている。

当然のことながら大震災の前である。(さすがは宇宙人だ[目]

さて‘政治主導’を標榜して政権の座についた民主党ではあったが、統治政党としての経験値がなくて、力量不足であることがいまや国民にもバレてしまった。ある者は言い訳をし、ある者はひたすら官僚の言いなりになり、あるものは仲間同士で反目しあい、国民を呆れさせている。

私としては民主党には今一度‘元祖’民主党の旗を高く掲げなおして、前進してほしい。
「新しい公共」の理念を現実の社会に実現するべく、制度環境を整備し、国民自身によって自発的に生み出されるさまざまな「新しい公共」運動をサポートしてほしい。

民主党員はこの大きな(宇宙的な)鳩山ビジョンを共有し、行動指針とすべし。そして主権者・国民にビジョンを語りかけ、国民自らが社会の変革に向かう土壌を作るべし。

今は消費税やTPPの議論が先に進んでいるけれど、その前に大きなビジョンをみんなで共有しないと、議論する意味がないと思うよ。




会議は踊るよ、どこまでも [統治論]

大震災という国難に際しては、時の内閣はトップダウンの意志決定を的確かつ迅速に行って、それが現場の災害対応にスムーズに流れてゆくピラミッド型の組織を編制する必要に迫られる。なぜなら大震災により秩序ある国民生活が一挙に打ち壊されるために、被災者救助、避難所開設、物資の供給、輸送路や燃料の確保、避難誘導指示、緊急医療受入対応、安否確認、電力の供給、ガスや水道の供給、通信網の安定化、デマ・風評被害対応、諸外国への情報発信と支援要請、金融システムの安定化、原発事故対応etc.といった数えきれない課題が一挙に押し寄せてくるからである。

これらの課題に的確かつ迅速に対応するには、「責任ある他人」(=時の内閣)の「指示・命令」(=意志)を忠実に受け取って、その「指示・命令」(=意志)に自分を服従させて行動することが重要であり、そのための組織編制が社会的動物たるわが「人間」にとって必須となるのである。

いざ生命の危機に際して、人間以外の動物は「脱兎のごとく」逃げ出したり、あるいは逆に「窮鼠かえって猫を噛む」で、自分や自分の子どもを守る行動に出たりするかもしれない。しかるにわが「人間」は危機に際して、これらの動物とは明らかに違う行動がとれる。他人の意志を受け取って、その意志に従う形で行動することができる。
これは人間社会全体を見通した分別ある行動で、人間自身も持っている動物レベルの生存要求と、ひとりの人間の中で不思議なことにも共存している。そうであるから、国家統治の責任者から「指示・命令」を受け取った自衛隊員は津波の被災地にあかの他人の救助に向かうし、高濃度の放射能が放出される福島原発に自らの被爆の危険を顧みずに放水に向かう。

話を戻そう。
今回の大震災は戦争に匹敵する国難である。そうであれば、わが「日本国」も国家統治者である時の内閣を頂点として指揮命令系統の整ったピラミッド型の組織を速やかに編制しなければならない。そしてこの組織で、次々と押し寄せる国民生活上の問題に対処しなければならない。この組織はよく出来た軍隊のように「責任のある他人」の「指示・命令」を忠実に受け取って行動を起こし、その結果について的確かつ迅速に「責任ある他人」に報告して次なる「指示・命令」を待つのだ。

現時点で菅・民主党内閣の災害対策の組織編制がどのようになっているか?インターネットから確認できる報道に基づいて内容を整理してみる。

1.東北地方太平洋沖地震緊急対策本部(3月11日設置、本部長:菅内閣総理大臣)
3月20日の本部会議では以下の下部組織(会議体)が設置された。
a.被災地の復旧に関する検討会議(座長:平野内閣府副大臣)
b.災害廃棄物の処理等に係る法的問題に関する検討会議(座長:小川法務副大臣)
c.災害廃棄物の処理等の円滑化に関する検討・推進会議(座長:樋高環境大臣政務官)
d.被災者等就労支援・雇用創出推進会議(座長:小宮山厚生労働副大臣)
e.被災者向けの住宅供給の促進等に関する検討会議(座長:池口国土交通副大臣)

2.原子力災害対策本部(3月11日設置、本部長:菅内閣総理大臣)
原子力災害対策特別措置法の第15条(緊急事態判断基準)規定に基づき、内閣府に設置された。

3.福島原発事故対策統合連絡本部(3月15日設置、本部長:菅内閣総理大臣)
福島原発の時々刻々変化する事故状況に適切に対応し、国民に対し正確な情報を迅速に伝える必要性から緊急に設置された。政府と東京電力が一体的に情報を受け取り、判断し、指示を出せるようにすることを重視して場所を一体化したのが特長。報道によると3月12日の1号機の水素爆発の報告が遅れたことに激怒した菅総理の強い意向により設置された経緯があるようだ。

4.電力需給緊急対策本部(3月13日設置、本部長:枝野内閣官房長官)
電力の供給不足が発生す可能性が高いことから設置された。関連して蓮舫行政刷新担当相が節電啓発担当相に就任。

5.震災ボランティア連携室(3月16日設置、室長:湯浅内閣参与)
内閣府に設置された。被災者を支援するNPO法人などとの連携窓口となり、省庁間を調整してボランティア活動を推進する役割を担う。関連して辻本清美議員がボランティア担当の首相補佐官に就任。

6.党東北地方太平洋沖地震対策本部(3月12日設置、本部長:岡田幹事長)
民主党内で主に被災者支援を議論する会議体。

7.東北地方太平洋沖地震災害復旧・復興検討委員会(3月23日設置、座長:岡田幹事長)
民主党内で震災復興を議論する会議体。委員会の中で特別立法、歳出見直し、復興ビジョン、補正予算の四つの検討チームの部会も設置し、復興の方向付けを政権与党の立場で行う。

8.地震対策に関する政府・民主党連絡会議(3月15日1回目会合)
政府と民主党の意見交換の会議体。

9.各党・政府震災対策合同会議(3月16日1回目会合)
各党と政府の意見交換の会議体。

10.復興構想会議(4月11日設置が閣議決定、議長:五百旗頭防衛大学校長)
東日本大震災からの復興計画を議論し、政府の復興基本方針の基になる提言を6月末をめどにまとめることが求められる。議長には阪神大震災の復興にも携わった五百旗頭真防衛大学校長が就任、議長代理には建築家の安藤忠雄氏と御厨貴東大教授が就任する。15名の委員には被災自治体の村井宮城県知事、達増岩手県知事、佐藤福島県知事も入り、特別顧問には哲学者の梅原猛氏が就く。必要に応じ、国土開発や住宅対策など個別テーマごとに部会を開いて議論を進める。
政府は復興指針の実施機関として「復興対策本部」(仮称)設置を検討中。首相が本部長を務め、復興担当相も任命する。政府は対策本部設置を盛り込んだ復興基本法案を4月内にも国会に提出し、復興体制の整備を急ぐ。基本法案では復興構想会議の法的な位置付けも明確にする。

11.福島原発事故経済被害対応本部(4月11日設置が決定、本部長:海江田経済産業大臣)
東京電力福島第一原発および福島第二原発の事故による被害への補償問題に取り組むために、原子力災害対策本部で設置が決定した。本部長は新設される原子力経済被害担当相が担う。担当相には原発を所管する経済産業大臣が兼任する。


解決すべき課題の多さと緊急度を反映して、たくさんの対策本部と会議体が組織された。緊急対応のため、閣議決定で設置され、法的根拠が明確でない形の組織も多い。


よくも悪くも人材寄せ集め政党であった民主党が時の政権運営にあたっていたため、サークル的、話し合い参加的な体質を引きずっているのではないか?会議こそ多いが、実のところは「会議は踊る、されど進まず」ではないのか?軍隊型の上意下達の組織としては機能していないのではないか?また菅総理が「政治主導」にこだわって独自色を打ち出そうとするあまり、従来の官僚組織をスポイルし、結果として人心が離れていってしまってるのではないか?

外野席からテレビやインターネット報道を通して見ている印象である。


「政治主導」復活のために-今こそ必要な政治の力② [統治論]

前回は大震災という国難に際しては、国民の負託を受けて国家運営に当たっている人たちの「政治的な」判断と意志決定が極めて重要であることを書いた。

このことについて少し掘り下げて考えてみる。

人間は自分たちが何らかの意図をもって動くことによって他人に働きかけ、自分の価値を他人に渡したり、他人の価値を自分が受け取ったりして、精神的にも物質的にも、お互いに創りあって生きている。人間が社会的動物と言われる所以である。

そのような社会的動物として、お互いがお互いを支えあって生きるのに社会のルールが必要となる。ルールは時に自然発生的に、時に複数の人間同士がお互いの意図をお互いに意識的に調整することによって、時に外側の社会から押しつけられること(植民地化etc.)によって、時に一個人の欲望や気まぐれ(暴君・独裁者etc.)によってetc.という具合に多様な形をとって生み出される。どのような形であれ、ひとたび社会のルールが生み出されると、その社会の構成員はそのルールに従って社会生活を送らなければならない。

人間以外にも集団生活を営む生物はいる。サルを研究しているサル学の大家はサルの集団にもボスがいて、サル社会のルールがあると言うかもしれない。ハチを研究している昆虫学の権威はハチの巧妙な役割分担を指摘するかもしれない。しかし人間の集団生活とその他の動物や昆虫の集団生活を比較した場合、機能から見た共通点を指摘することは出来ても、本質においては次元の異なる法則性があると見るべきだ。

人間社会のルールは学問的には「規範」と呼ばれ、「観念的に対象化された意志」(三浦つとむ「認識と言語の理論」)がその本質である。集団生活の中で自分や他人の意志を調整し、観念的に対象化して、あたかも外側からの意志のように受け取って、その意志に自分や他人の意志を従わせるという人間特有の観念世界が生み出される。サルもハチもこのような観念世界はもっていないはずである。

私たちは「日本国」という観念世界に住んでいる。「日本国」には私たち住民(=日本国民)が社会生活を営む上で、従うべきたくさんのルール(=法律)が存在していて、このルール(=法律)に則って「日本国」は統治されている。法治国家たる所以である。

法治国家日本の住民は、法律が定める方法で、自分たちの観念世界(=国家)を治める専門の人(=政治家)を選び出す。合法的に選び出された政治家は、住民から最大の支持を集めた政党に属する実力者を中心として内閣を組織したあと、国民を代表して観念世界(=国家)の統轄にあたる。政治家は住民間の多種多様な利害の調整を行ったり、全住民にとって共通の敵として立ち現れる外国からの侵攻、疫病、災害等の事態に対して、国民の生命と財産を守るべく対応する。

さて、ここからが重要である。
内閣は平時には法に則って粛々と国家運営にあたればよい。しかし今回のような大震災という国難に遭遇した場合、平時のスタイルの国家運営では対応しきれないことがたくさん出てくる。大地震と大津波は不測の事態を連鎖して生み出した。どれもこれも一刻を争う事態である。下手な手を打てば国家の存亡にかかわる。衆議院、参議院と通常のプロセスを踏んで法案を通していたのでは間に合わない。何が日本国にとっての最大利益かを国家運営にあたる政治家が考えて、すばやく決断を下すのだ。国家運営者の権能で政令を繰り出すのだ。またトップダウンの意志決定が迅速になされ、それが現場の災害対応にスムーズに流れてゆくよう災害対策の本部組織を可及的速やかに立ち上げるのだ。また地方自治体、自衛隊、消防署、警察、ボランティア組織から後方の病院やライフラインにかかわる民間会社にいたるまで、組織横断的な組織として急速編制し、それぞれを連携させて一元的に命令を送れる体制を構築しなければならない。

ここで踏ん張って自らを国家統治者として鍛えなおすことができれば、支持率低下にあえぐ菅・民主党政権も「政治主導」復活で、支持率をV時回復させることが出来るかもしれないぞ。


今こそ必要な政治の力 [統治論]

私はテレビ報道やインターネットを通じて、今回自分が体験した地震はその被害の大きさがだれにも測りえず、なおかつ連続的に関連して災害を引き起こす、わが国を襲う大震災であることを知った。

対応次第でどれほどの人命が失われるのか?また救われるのか?
どれほどの財産が棄損されるのか?また救われるのか?

そういう意味では、わが日本国の国難。戦争に匹敵する国家の危機であって、国民の負託を受けて国家運営にあたっている人たちの的確かつ迅速な「政治的な」判断と意志決定が何よりも重要であると思った。

私たち個々の国民が自分や自分の家族を守るために自分の判断で動くことは、非常時には必須であり、また当たり前のことだけれども、同時に国家規模での危機対応としては、また違った判断を下して、国民に迅速に通知し、行動を規制してゆくことが絶対に必要だと思う。

なぜならば個々の国民は個々の国民としての最適な判断をして行動を起こすけれども、その結果引き起こされる事態は、時に深刻な国家規模での二次災害を引き起こす恐れがあるからである。
たとえば地震の直後、家族や仲間の安否を確認する個々の電話やメール、客先、上司筋への連絡電話やメールなど一斉に発生した通信トラフィックが長時間の不通状態を作り出した。国家運営の観点からは、このような通信網の麻痺は本来避けたいものである。

国家の危機に際しては「国民の生命と財産を守る」という国家規模の共通利害が最前面に押し出され、個人や企業体、地域コミュニティーの抱える個別・特殊な利害にかかわる問題は背後に隠れる。

大地震と大津波のあと、関連して大規模停電や断水、交通網や通信網の麻痺、原子力発電所の深刻なトラブルなど二次災害が連続して引き起こされた。国家運営者は最前面に出て、全国民的共通利害を踏まえた意志決定を次々にし続ける必要に迫られている。とにかく政治の力が必要な局面なのだ。

政治家は、平時には時として票田となる地元の特定企業や支持団体の個別・特殊な利益を誘導する「政治利権屋」(≒politician)として活動して、国民の政治不信を増長させている。しかし大震災は国家の非常時。政治家も個別・特殊な利害のために動くヒマはなく、全国民的共通利害を踏まえた本来の「政治家」(≒statesman)としての決断を下すことが否が応うにも求められる。

今現在起こっている災害への対応はどれをとっても緊急度が高く、的確な状況判断と迅速な意志決定が必要なものばかりである。政治家は優先順位をつけて、ダイナミックに動いてほしい。優先順位が低いと判断したものは、たとえ取り組みが遅いと国民から反発を招いてもいい。被災された方々の1秒でも早い救出、原子力発電所の危険状態を1秒でも早く収束させることを願っております。


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