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原発のシンプルな立地原則-原発ってそういうものだったのか会議③ [私の提言]

原子力発電所を建設しようとした場合、人口密度の高い首都圏ではそもそも地価が高い上、地権者も多く、用地を手当てするのに高いコストがかかってしまう。また万一の事故により大気に放射性物質が飛散するリスクもあって、人口密度が高いほど住民合意をとりつけることが困難になる。このため福島原発のように電力供給の管轄エリアでない海沿いの過疎の町に原子力発電所を造って、首都圏に電力供給するような形がとられることにもなる。背景にはわが国のエネルギー供給を原子力発電を中心に行っていこうという国家の意志(産業界とその意向を受けて関連立法を行った国会議員や経済官僚の総意)と、交付金によって地元を潤わせようという地元政治家や町長の思惑との一致がある。

ところが今回の福島原発のようにひとたび深刻な事故が起きると、地元住民は生活の糧を奪われたり、放射能による健康被害を被ったり、避難所暮らしを余儀なくされたりetc.と一方的に多大なリスクに晒される現実に直面する。こんな不条理な話はない。

私は原子力発電所の立地はシンプルな原則によって行ったらいいと思っている。
すなわち特定の発電所で生産された電力は、その電力を実際に消費する地域住民や企業体が、発電のリスクも含めて引き受けるという原則である。

この受益者負担原則を活かすには、地方自治体レベルで自らが消費している電力の発電方法を選択するという根本のルールを作ればよい。その結果、ある自治体では「放射能汚染のリスクに晒されるのはイヤだ」という県民の総意を打ち出して、自然エネルギーによる電力供給へのシフトを行うだろうし、別の自治体では「原子力発電こそ環境負荷が少なく、経済性のよい、安心・安全・安価な電源だ」として、自らのリスクで原子力発電を推し進めるだろう。電力を大量に使用するデータセンターや大規模生産設備の誘致を目論んで、安くて潤沢な電力の供給基地となる戦略構想を打ち出すのも一計である。

話を変えよう。
現在、原子力政策を推し進めようとすると「原子力は必要、でもわが町には原発はいらない」という総論賛成・各論反対の無責任な議論にはまりこみ、先に進まない。そこで最終的にはお金の力で地域住民を懐柔して決着させる。時代遅れでいやらしい方法だと思う。地方の過疎地の原発立地町村に交付金という「迷惑料」を支払って原発のリスクを引き受けてもらい、首都圏住民の電源を確保する、こういういびつな電力供給のあり方は変えてゆく時期にきているのだ。

私たちは実際の自分の居住地域の電力の発電方法を、自分の責任とリスクにおいて選択し、他の居住地域の住民に勝手にリスクを押しつけないようにするのだ。もし自分の居住自治体が住民投票のプロセスを踏んで、原発推進の選択をしたらどうするのか?原発反対の住民は多数決の民主的な決定に従うよう自分自身を納得させるか、耐え難い場合には自然エネルギー推進の自治体エリアに引っ越すのだ。「いいとこ取り」はなしだ。引越しの負担も小さくはないが、私にはこの方法が最も公平な現実の解決策に思える。

受益者負担原則によって電源開発を行うメリットは他にもある。
まず遠いところに立地した原子力発電所から送電を行う場合、距離に比例して電力が失われていく。これが消費地立地が原則となると、意味のない送電ロスが減り、電力の発電効率が高まる。同様に長距離の送電に必要な送電線や変電所の建設・保守といったコストが大幅に削減され、その分発電コスト単価を押し下げる。

「危険があっても安い電力」を選ぶか?「安全で高い電力」を選ぶか?
それは私たちの自由だ!






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