「絆」あるいは蘇る「新しい公共」 [統治論]
言葉の軽さと脇の甘さから、ルーピー(≒くるくるパー)と形容され、国民からも馬鹿にされてしまった鳩山元首相だが、なかなかどうしていいことを言ったりもする。
「ここ十年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の‘絆’が、今やずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。
かつての『誰もが誰もを知っている』という地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで、次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体のあり方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、介護などのボランティア活動、環境保護運動、地域防災、そしてインターネットでのつながりなどを活用して、『誰かが誰かを知っている』という信頼の市民ネットワークを編みなおすことです。『あのおじいさんは、一見偏屈そうだけど、ボランティアになると笑顔が素敵なんだ』とか『あのブラジル人は、無口だけど、ホントはやさしくて子どもにサッカー教えるのも上手いんだよ』とかいった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい‘絆’をつくりたいと考えています。
幸い、現在、全国各地で、子育て、介護、教育、街づくりなど、自分たちに身近な問題をまずは自分たちの手で解決してみようという動きが、市民やNPOなどを中心に広がっています。子育ての不安を抱えて孤独になりがちな親たちを応援するために、地域で親子教室を開催し、本音で話せる‘居場所’を提供している方々もいらっしゃいます。また、こうした活動を通じて支えられた親たちの中には、逆に、支援する側として活動に参加し、自らの経験を活かした新たな‘出番’を見いだす方々もいらっしゃいます。
働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。
私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う‘新しい公共’の概念です。‘新しい公共’とは、人を支えるという役割を、‘官’と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。
国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、二十一世紀の政治の役割だと私は考えています。
新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが‘自立と共生’の理念を育み発展させてこそ、社会の‘絆’を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。
私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが‘居場所と出番’を見いだすことのできる『支え合って生きていく日本』を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。」
(第173回国会における内閣総理大臣所信表明演説より)
「あんたはお呼びじゃないよ」とか「早く引退しろよ!」とか野次が飛んでくるかもしれない。
しかしちょっと待ってもらいたい。
予断なく、この演説に触れてみると、なかなかどうして、格調高く、友愛の精神に満ちた理念が語られていることがわかる。しかも驚くことに今年を象徴する漢字‘絆’が用いられて、人間同士のつながっているという意識、そしてその意識に根ざした人間社会の再生が語られている。上っ面の技術論ではなく、民主国家のほんらいの政治主体であるべき国民自身の心のあり方について語っているのだ。この所信表明演説は、民主党が政権交代をなした後、初の民主党内閣の総理大臣としてのもので、2009年10月26日に行われている。
当然のことながら大震災の前である。(さすがは宇宙人だ)
さて‘政治主導’を標榜して政権の座についた民主党ではあったが、統治政党としての経験値がなくて、力量不足であることがいまや国民にもバレてしまった。ある者は言い訳をし、ある者はひたすら官僚の言いなりになり、あるものは仲間同士で反目しあい、国民を呆れさせている。
私としては民主党には今一度‘元祖’民主党の旗を高く掲げなおして、前進してほしい。
「新しい公共」の理念を現実の社会に実現するべく、制度環境を整備し、国民自身によって自発的に生み出されるさまざまな「新しい公共」運動をサポートしてほしい。
民主党員はこの大きな(宇宙的な)鳩山ビジョンを共有し、行動指針とすべし。そして主権者・国民にビジョンを語りかけ、国民自らが社会の変革に向かう土壌を作るべし。
今は消費税やTPPの議論が先に進んでいるけれど、その前に大きなビジョンをみんなで共有しないと、議論する意味がないと思うよ。
「ここ十年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の‘絆’が、今やずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。
かつての『誰もが誰もを知っている』という地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで、次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体のあり方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、介護などのボランティア活動、環境保護運動、地域防災、そしてインターネットでのつながりなどを活用して、『誰かが誰かを知っている』という信頼の市民ネットワークを編みなおすことです。『あのおじいさんは、一見偏屈そうだけど、ボランティアになると笑顔が素敵なんだ』とか『あのブラジル人は、無口だけど、ホントはやさしくて子どもにサッカー教えるのも上手いんだよ』とかいった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい‘絆’をつくりたいと考えています。
幸い、現在、全国各地で、子育て、介護、教育、街づくりなど、自分たちに身近な問題をまずは自分たちの手で解決してみようという動きが、市民やNPOなどを中心に広がっています。子育ての不安を抱えて孤独になりがちな親たちを応援するために、地域で親子教室を開催し、本音で話せる‘居場所’を提供している方々もいらっしゃいます。また、こうした活動を通じて支えられた親たちの中には、逆に、支援する側として活動に参加し、自らの経験を活かした新たな‘出番’を見いだす方々もいらっしゃいます。
働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。
私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う‘新しい公共’の概念です。‘新しい公共’とは、人を支えるという役割を、‘官’と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。
国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、二十一世紀の政治の役割だと私は考えています。
新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが‘自立と共生’の理念を育み発展させてこそ、社会の‘絆’を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。
私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが‘居場所と出番’を見いだすことのできる『支え合って生きていく日本』を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。」
(第173回国会における内閣総理大臣所信表明演説より)
「あんたはお呼びじゃないよ」とか「早く引退しろよ!」とか野次が飛んでくるかもしれない。
しかしちょっと待ってもらいたい。
予断なく、この演説に触れてみると、なかなかどうして、格調高く、友愛の精神に満ちた理念が語られていることがわかる。しかも驚くことに今年を象徴する漢字‘絆’が用いられて、人間同士のつながっているという意識、そしてその意識に根ざした人間社会の再生が語られている。上っ面の技術論ではなく、民主国家のほんらいの政治主体であるべき国民自身の心のあり方について語っているのだ。この所信表明演説は、民主党が政権交代をなした後、初の民主党内閣の総理大臣としてのもので、2009年10月26日に行われている。
当然のことながら大震災の前である。(さすがは宇宙人だ)
さて‘政治主導’を標榜して政権の座についた民主党ではあったが、統治政党としての経験値がなくて、力量不足であることがいまや国民にもバレてしまった。ある者は言い訳をし、ある者はひたすら官僚の言いなりになり、あるものは仲間同士で反目しあい、国民を呆れさせている。
私としては民主党には今一度‘元祖’民主党の旗を高く掲げなおして、前進してほしい。
「新しい公共」の理念を現実の社会に実現するべく、制度環境を整備し、国民自身によって自発的に生み出されるさまざまな「新しい公共」運動をサポートしてほしい。
民主党員はこの大きな(宇宙的な)鳩山ビジョンを共有し、行動指針とすべし。そして主権者・国民にビジョンを語りかけ、国民自らが社会の変革に向かう土壌を作るべし。
今は消費税やTPPの議論が先に進んでいるけれど、その前に大きなビジョンをみんなで共有しないと、議論する意味がないと思うよ。
2011-12-31 22:33
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